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「孟子」とは中国戦国時代に生きた孟子の現行集です。「孟子」における論語の解釈を書いていきたいと思います。

まず儒教の説明から。
儒教における聖典というのがあって、四書五経(ししょごきょう)という。


五経というのは、「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」を指すのだけれど、正直この辺は読んでもよく分からない。中国の宋代に入って、この五経を棚上げして、論語「大学」「中庸」「孟子」の四書を重視しようという流れができた。この流れを集大成したのが朱子学だ。

しかし、「大学」「中庸」というのは「礼記」のなかのそれぞれ1篇であって、すなわち近世以降の儒教においては、論語と孟子が二本柱となっている。

では、「孟子」なる書物にはどのようなことが書いてあるのか。全文紹介するというのはだいそれたことであって私なんかにはムリなのだけれど、「孟子」の最後のところだけ、私なりに紹介します。

「万章曰く、孔子は我が門を過ぎて我が家に入らざるも、我恨みざる者はそれただ郷原(きょうげん)か。郷原は徳の賊なりとのたまえり 問う。いかなればすなわちこれを郷原(きょうげん)と言うべき」

論語の陽貨第十七 457 に

子日わく、郷原(きょうげん)は徳の賊なり

とある。孟子の弟子の万章は、論語のこの部分の意味を問う。まず郷原とはなにかということだ。普通、郷原というのは、村の誠実な人という意味なのだけれど、万章の質問に対して、孟子はこのように答える。

「この世に生まれてこの世の為す所を為さんのみ。(人からよく言われれば)すなわち可なりといいて、えん然として世に媚びる者は、これ郷原なり」

つまり、この世に生まれて世間の期待通りに生きて、よろしくやれればそれでいいという、これが郷原なわけだ。ちょっと物足りないヤツらだとは思うけれど、徳の賊なんて言われるほどのこともないのではないだろうか。

万章も同じようなことを考えて、孔子が郷原を「徳の賊」とまで言ったのはなぜかと問う。これに対して孟子は答える。

「これを非(そし)らんとしても言うべきなく、これを刺(そし)らんとしても刺るべきなし。流俗に同じくし、汚世に合わせ、ここにおること忠信に似、これを行うこと廉潔に似たり。衆皆なこれを喜び、自らはもって是となさんも、しかももって尭舜(ぎょうしゅん)の道に入るべからず。故に徳の賊というなり」

尭舜(ぎょうしゅん)とは、中国古代における伝説の聖王。

郷原のよくないところは、いい人であるふりをしているところだと言うわけだ。ふりをすることが罪なんだな。

プラトンも国家という本の中で同じ論理を展開していた。「国家」において、ソクラテスは「正義を救ってくれ」と懇願される。どういうことかというと、この世の中、多くの物や観念は何らかの役に立つという理由で存在が許されているわけなんだけれど、「正義」ほどの重要観念ならそれ自身の中に存在の価値を確立して欲しいという。「正義」というものが、人から評価されるとかお金が儲かるとか、そういう下賎な価値で支えられるというのではなく、正義が自らの足で立つにはどうすればいいのかというわけだ。

孟子もプラトンも、価値は自分の外ではなく自分の内に持つべきだと言うわけだ。

これは極めて近代的な考え方だろう。現代でも道徳の内面化が必要だ、などとよく言われる。私は「道徳の内面化」という言葉は好きではないけれども、このようなことを言っている人の意味するところは、価値を自分の中に持ちたいという渇望だろう。

孟子やプラトンはすごいよね。2300年も昔に、すでに近代的な考え方をしていると言う。本当にすごい、孟子やプラトンは近代的な考え方をしている。

本当に?

論理は逆なのではないだろうか。孟子やプラトンが近代的な考え方をしているのではなく、近代が孟子やプラトン的な考え方をしているのではないだろうか? ヨーロッパがかつてルネッサンスで発見したものはプラトンだろう。日本の明治維新の原動力の根源は孟子だろう。吉田松陰も佐久間象山も魂を傾けて孟子を読んでいた。

孟子における「価値が内在化する世界観」の根拠は何か。「郷原は尭舜(ぎょうしゅん)の道に入るべからず」のあと、孟子はどのように語っているのか。

「尭舜(ぎょうしゅん)の道に入るべからず。故に徳の賊というなり。

孔子いわく、似て非なるものを憎む。雑草を憎むはその苗をみだるを恐るればなり。..言葉巧みを憎むはその信をみだるを恐るればなり。..紫を憎むはその朱をみだるを恐るればなり。郷原を憎むはその徳をみだるを恐るればなり」

社会秩序の強度というのは、価値というものをその社会の外ではなく、内に持つことから立ち現れるということはありえる。郷原は、価値を自分の外に依存しているわけだから、大きい枠組みで見れば秩序のフリーライダーだというわけだろう。

故に、孔子は似て非なるものを憎む、だ。

論語 陽貨第十七 462 にこのようにある。

子日わく、紫の朱を奪うを悪(にく)む。鄭声(ていせい)の雅楽(ががく)を乱(みだ)るを悪む。利口(りこう)の邦家(ほうか)を覆(くつがえ)すを悪む。


孟子は、最後にいたって論語の言葉を重ねてきている。孟子の論理の根拠というのは、けっきょく論語の世界観にある。論語を強力に自分にひきつけることによって、新しい世界観を押し出そうということだろう。プラトンもその語り手はほとんどソクラテスだった。

「孟子」は実質的に最後、このように終わる。

「郷原を憎むはその徳をみだるを恐るればなり。君子は常の道、治まればすなわち庶民興る。庶民興れば、すなわち邪悪なし」

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「孟子」の性善説の解説です。

性善説とは、人間の性質はもともと善である、などというおめでたいような思想ではありません。性善を信じれば社会が強くなり、その強い社会で生きている人は性善を信じなくてはならない、という、一種逆説的な思想です。それなくして生きることのできない思想を人間は「真理」と呼びます。

「孟子」は儒教の経典になっているので、葬式のしきたりだとか長幼の序だとかをくどくど書いているのではないかと思われるかもしれないですが、全然そんなものではないです。

では具体的に何が書かれているのかと言いますと、例えば孟子はこのように言います。

「我よく我が浩然の気を養う」

弟子がですね、先生、浩然の気とは何ですか? とすかさず問います。結論から言いますと、浩然の気とはやる気とか元気とかそのようなものです。
ではどうすれば「やる気」を自分の中で養うことができるのか? この難しい問題を孟子は真正面から答えようとします。

私は思うのですが、個人的社会的な問題の多くは「元気」の払底から起こっているのではないでしょうか。不登校、引きこもり、ニート。さらに、現状の保守と左翼リベラルのギスギスした対立というのは、突き詰めれば、保守の秩序主義と左翼リベラルの自由主義との社会的な限られた「元気」の奪い合いに原因があると思います。

元気を盛り上げようとする時にやってはいけないことを、孟子はこのように言います。

「気を正とすることなかれ。助けて長ぜしむることなかれ」

これは「元気」そのものを直接盛り上げようとしてはいけないという意味で、孟子は以下のような例えをあげています。私の現代語訳で。

「宋人ごとくすることなかれ。宋国のある人が、苗がなかなか大きくならないことを心配して、苗を引っ張って伸ばそうとした。その人は家に帰って息子に語った。
 今日は疲れた。苗を引っ張って伸ばしてきた
息子がびっくりして田に行ってみたら、苗はすべて枯れていた」

元気を直接盛り上げることは出来ないというのは、なんとなく実感できます。やったとしてもカラ元気みたいなことになります。
では元気を滋養するにはどうすればいいのか。これは難しい問題で、現代において明確な答えは存在しないことになっています。ですから、元気の総量は個人個人に前もって与えられていて、出来るだけ元気を節約して生きるのが賢い生き方だとされがちです。現代社会でお金とか周りからの承認とかが重要視されるのも、元気の消費を節約しようとすることの結果だと思います。

では元気を盛り上げるにはどうすればいいのか?
孟子は、この現代において誰も答えることができなくなった問題に真正面から切り込みます。
これが哲学ではなくて何でありましょうか? 真の哲学ここにありです。東洋に哲学がないなどと奇怪な知識人が語ったりするのですが、ふざけきった馬鹿を言うものありです。

ハードルもいい感じに高くなってきたようなので、元気を醸成する方法にいての孟子の論理を紹介したいと思います。

「その気たるや、義と道とに配す。これなければ飢うるなり」
「故に告子は未だかつて義を知らずと言えるは、そのこれを外にせるをもってなり」

やる気は「義」に伴って発生するもので、「義」というものは心の内にあるからこそ意味がある、ということになるでしょうか。
「義」とは何かということはまず置いといて、何らかの根拠というものが心の内にないと「やる気」というものは本当には発生しないのだと孟子は言うわけです。
それはそうでしょうね。
やりたくないことばかりやっていたら、生きることが馬鹿馬鹿しくもなるでしょう。しかし、やりたいことばかりやって生きていくというわけにもいかないですし、この辺の折り合いをどうすればいいのでしょうか? 
野球好きなら野球が「義」となるでしょうし、本好きなら読書が「義」となるでしょう。ないよりはましですが、この程度の「義」だと生活との折り合いということにどうしてもなってしまいます。

ここから論理の跳躍になるのですが、「孟子」には推奨されるべき「義」というのが書かれています。それが何かと言いますと、

性善

ということになります。性善とは、すべての人に天から善の心が付与されている、という思想です。性善思想を心の中心に置くべきだと孟子は言うわけです。
性善と言われて、ちょっと待てと、すべての人に善の心があるというのは無理なんじゃないの、性善なんて考え方は甘いんじゃないの、と誰もが考えます。サイコパスなんていう言葉もあります。
孟子の弟子も、その辺のところを問いただします。先生、善の心を持ってなさそうな人もいるんですけど、その辺はどうなのでしょう? みたいな感じです。
孟子、答えて曰く、ですね

「かの牛山を見よ」

牛山というのは、中国戦国時代最大の都市である臨淄(りんし)の近郊にあった山の名称です。

「かの牛山をみよ。(以下私の現代語訳です) あの山はかつて木に覆われ美しかった。だが薪として、木は切られてしまった。だが山はまだ生きていて、雨や露の潤すところ、切られた切り株にも緑がたちこめた。
ところが人々は牛や羊を放牧する。やわらかい緑もすべて食べられてしまった。
長い月日がたち、何もなくなった山を見て、人々は、この山ははじめから何もなかったと思うようになる。しかしこの今の牛山は、本当にあるべき牛山の姿なのだろうか? 人間の心も、この牛山と同じなのではないだろうか? 人が良心を無くしてしまう理由も、日々において牛山の木が失われてしまったことと同じなのではないだろうか? 日ごとに木を切ったのでは、その美しさを保つことはできない。あの夜明けの緑の芽生えも、良心を失った人が多いことを思うなら、昼間にそれを牛や羊に食べられてしまったのだろう。このようなことを繰り返せば、緑の芽生えも失われる。緑の芽生えが失われれば、人は禽獣と変わらなくなるだろう。人が禽獣であるさまを見て、その人は善であったことはないとして、そのことで本当に人の性善を否定したことになるのだろうか。正しく育てれば成長しないものはないが、育てるのをやめればそれは消えてしまう。
孔子が、「取ればあり、捨てれば失う、出入り時なく、あるところを知らない」と言ったのも、このような意味ではないのか?」

性善を心の中心に置けば、人を信用してフレンドリーにもなれます。どうしようもない人がいたとしても、それは心の善が厚く覆われてしまっているだけであって、腹も立たない、スルーですよ。そのような難しい人を救うのは一般人ではなく、堯舜(ぎょうしゅん)のような聖人の仕事ですし。
このような思考パターンに移行していければ、やる気を滋養するということは不可能ではないと私は思います。
孟子は、この性善思想をあらゆる社会レベルにはめこもうとします。世界、国家、村、家族、個人、などのすべての社会レベルで性善の歯車が回り出せば、元気というのが天地に満ちるようになり、これが「浩然の気」ということになるでしょう。

だから有用な性善思想を復活させるべきだなどと、私は思ったりしないです。
論理は逆です。
「孟子」が存在したから東アジアの世界はこのように膨らんであるわけで、「孟子」が存在したから東アジアは19世紀のウエスタンインパクトを辛うじてではありますが、跳ね返すことができたのではないでしょうか。
ですから、「孟子」とは近代西洋哲学のような世界を説明する哲学ではなく、世界に命令する哲学です。一段高い哲学です。真の哲学とはそのようなものだと思います。

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「民爲貴、社稷次之、君爲輕」
これを書き下し文にしてみると、
「民を貴(たっと)しとなし、社稷これに次ぎ、君を軽(かろ)しとなす」
となる。

「孟子」のここの部分を、吉田松陰は「講孟箚記」で、「異国の事はしばらく置き、わが国はかたじけなくも、うんぬん」と皇国史観を絶叫している。これは吉田松陰の限界というより、日本人の限界の結果だと思う。幕末において西洋の圧力というのが極めて強くなっていて、日本はその一体性を問われていた。一体性を確立できなければ、当時の東南アジアと同じ運命をたどっていただろう。

はたして孟子の総力戦思想だけで、日本はその一体性を維持できただろうか? たまたま続いてきた天皇という制度を利用し日本を救おうとしたとして、日本人にとってだよ、何か問題があるだろうか。

そもそも孟子の言説の眼目や目的は、一つの国なら国の一体性を高めようというものだったと思う。同じ規模の国同士が戦った場合、どちらが勝つかというと、それはその国の一体性の強度に依存している。これは人間個人のぶつかり合いでも全く同じだ。誰もが経験があると思うけれど、同じハードワークをしていても、人格の一体性の怪しげなやつから脱落していく。

大事なポイントは一体性にあるわけだ。

孟子はこの一体性を強調する言説を貫いた結果、「民を貴(たっと)しとなし、社稷これに次ぎ、君を軽(かろ)しとなす」という場所に行き着いたともいえる。だからこの言説は、民主主義というのではなく総力戦思想の一つの表現なんだろう。

戦後、平和な世界が訪れて、明治維新で天皇まで持ち出す必要はなかった、という言論も成り立つようにはなった。しかしそれは結果論であって、私はとてもそのような楽天的な言説を、ギリギリの世界生きた吉田松陰に押し付けることは出来ない。


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この世界が一見合理的に形成されているのは、当たり前のようで当たり前ではないと思うんだよね。尋ねれば答えは与えられるだろうとか、頑張れば報われるであろうとか、この世界に神がいないとするなら、何によってこれらの整合性への信頼というものは個々の人間に与えられているのか。

強力な理念を中心として、社会集団の観念群が合理的に再編成された場合に限り、この世界は予測可能な世界となるだろう。

整合性の取れた予測可能なせかいというものが、無条件に与えられるわけがない。人類の歴史上、どこかで何かが起こったんだ。

合理的な世界観を形成するということを西洋で最初にやったのはプラトンだろうけれども、東洋においては孟子だろう。

この日本世界を秩序付けたのは孟子で間違いない。左翼インテリは、近代日本を形成したのは西洋哲学系だと主張しがちだけれども、そのようなものは信ずるに足らない。借り物の論理で自らを持ち上げるなんていうのはできない。

日本を近代として持ち上げたものが孟子だったとしたら、「孟子」の本文を読めば、たちどころに孟子のすごさというのが分かるはずだよね。そして実際に分かる。

幸いなことに、日本には漢文を読むための書き下し文というものが存在している。これは日本の智恵だと思う。書き下し文で孟子を読んでみよう。孟子はどこを読んでもすばらしいわけだから、適当に選択してみようか。

孟子、万章に語りていわく、一郷の善子はすなわち一郷の善子を友とし、一国の善子はすなわち一国の善子を友とし、天下の善子は天下の善子を友とす。天下の善子を友とするをもっていまだ足らずとなし、また、古(いにしえ)の人を尚論(しょうろん 昔の賢人を評論するの意)す。その詩を誦し、その書を読むも、その人を知らずして可ならんや。このゆえにその世を論ず。これ尚友なり。

本文のこの迫力というのはまさに弾丸だ。意味として、大作家がいて、その作品のことをよく知りたいのなら、作家のみならずその作家が生きた時代そのものを知らなくてはならないと孟子は言っているわけだ。

当たり前のようなことを言っているように聞こえるかもしれないが、これは本当に当たり前の事なのだろうか。世界観が強力に維持されている場合には、孟子の以上の言説は当たり前だ。しかし世界観のシバリが緩んでくるとどうなるだろうか。おそらく、作品とは時代を超越して成立しうるなどという言説が現れてくるだろう。

時代を超越したとされる作品と、この孟子の私が適当に選んだ2300年前の断片の言説と、いったいどちらが時代を超越しているだろうか。

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人は誰でも善の心を持つという。これを性善説という。

「人皆忍びざるの心あり。幼児のまさに井戸に落ちんとするを見れば、みな惻隠の心あり」

このような当たり前の感情が信念となりえるというのは、ほとんど孟子の発見だと思う。  当たり前の感情、強い信念、浩然の気、明確な世界観、これらのものは一体としてある。

人間はこの世界を様々に解釈しながら生きている。可能性として、その解釈が正しい場合もあるだろうし、正しくない場合もあるだろう。正しい正しくないというのは言いすぎかもしれない。正確に語るなら、その世界観に、実体があるかないかということになるか。

しかしその世界観の実体なるものは何によって保障されるのか。もし何によっても保障されないとなるとどうなるか。もしあらゆる世界観が等価だとするならどうなるだろうか。

孟子の世界観も、現代日本にほとんど無数に存在するスマホゲーの世界観も等価だということになる。まだありがたいことに、孟子とクソゲーとの世界観の差というのは明らかだ。   

「敢えて問う、夫子いずくにか長ぜる。曰く、我ことばを知る。我よく吾が浩然の気を養う」  

少し解説すると、孟子自身は強い志を持つことによって、人の考えていることが分るようになるし、自分の心のうちに強い気力というのが湧いて来ると言っているわけだ。
この考えは一理ある。強い信念を持っているであろう人間は、精力的に見えるし、その人の語る言葉があたかも正しいように聞こえてくる。そのようなことは往々にしてある。

しかしここで問題なのは、その強い信念なるものは何かということだ。これこそがその世界観の真の強さを決定する。自信に溢れた人がいて、その人の信念の根源というものが、例えば親が金持ちだったりとか、自らの学歴が高いとか、仕事が出来るとか、ハゲだとか、そのようなものであった場合、そいつはたいしたことない。いくらでも上からかぶせていく余地ありだ。

空気さえ読まなければ、根拠薄弱なチンピラの論理はいくらでもひっくり返せるというのは、まあ当たり前の話だ。

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まず孟子の「浩然の気」の部分を私が訳してみる。 

「あえて問う。先生は何が勝っているのか。孟子は言う、私は言葉を知る。私はよく浩然の気を養う。あえて問う、浩然の気とは何か。孟子は答えて言う、その気とは、大きく強く正しい。これを損なうことなく育てれば、天と地との間に満つるほどになるだろう。その気とは正義とともにある。正義がなければ浩然の気もない。浩然の気とは正義とともにたち現れ、浩然の気だけ取り出すことは出来ない。私が、告子は正義を知らないというのは、告子が正義や浩然の気をそれぞれ取り出そうとするからだ。浩然の気を養うためには、心に正義を忘れてはダメだ、浩然の気のことだけを考えていたのではダメだ、宋国の人のようになってはダメだ。宋国の人に、苗が生長しないのを憂えて、苗を引っ張って伸ばそうとしたものがいた。茫々然として家に帰り、語りて言う、今日は疲れた。私は苗を助けて伸ばしたと。その息子は、いやな予感がして走って田んぼに行ってみると、苗は全て枯れていたという。ここは難しいところだ。浩然の気を養わないのは、田んぼの雑草を抜かないみたいなもので、浩然の気だけを養おうとするものは、宋国の人のようなものだ」 

書き下し文
敢えて問う、夫子惡くんか長ぜる、と。曰く、我言を知る。我善く吾が浩然の氣を養う
其の氣爲る、至大至剛なり。直きを以て養いて害うこと無きときは、則ち天地の閒に塞がる
其の氣爲る、義と道とに配す。是れ無きときは餒う
是れ集義の生[な]す所の者、義襲って之を取るに非ず。行って心に慊[こころよ]からざること有るときは、則ち餒う。我故に曰く、告子は未だ嘗て義を知らず。其の之を外にするを以てなり
必ず事有って正[あてて]すること勿かれ。心忘るること勿かれ。長ずることを助くること勿かれ。宋人の若く然すること無かれ。宋人其の苗の長ぜざることを閔[うれ]えて、之を揠 [ぬ]きんずる者有り。芒芒然として歸る。其の人に謂って曰く、今日病[つか]れぬ。予苗の長ずることを助けつ。其の子趨って往いて之を視れば、苗則ち槁[か]れぬ。天下の苗の長ずることを助けざる者寡なし。以て益無しと爲して之を舍つる者は、苗を耘 [くさぎ]らざる者なり。之が長ずることを助くる者は、苗を揠きんずる者なり。徒に益無きのみに非ずして、又之を害う


浩然の気とは、やる気とかテンションとかそのようなものだと思う。ではテンションをあげるにはどのようにすればいいか。お金が儲かるからテンションがあがるなんていうのは、「宋国の人」なわけだ。正義を実行しているという自覚のうちに浩然の気は大きくなる。

正義とは何かというと、ここちょっと難しいのだけれど、人間の性質は善だという確信によってこの世界の価値観を秩序付けることからたち現れる何かなんだ。孟子は性善説を基礎にこの世界を合理化しようとする。やってみれば分かるのだけれど、合理化されつつある世界というのは、すごくテンションがあがる。やる気が出るんだよね。しかしこの合理化の理由というのが、利益のためとかいうのではこのテンションも長続きしない。  

功利主義程度では世界は傾けられない。しかし合理化の理由というのが、人々の善を解放するためだとしたら? このロマン、この手ごたえ。  

幕末の志士や昭和初期の動乱に参加した人たち。彼らはなぜあんなに熱くなっていたのか、不思議だと思わないか。私たちと同じ日本人なんだよ。結局、何らかの正義感によって浩然の気がまさに「天地に満ちた」からだろうと思う。では彼らの正義感はどこから来たのか。自らの利益のためか? そんなことは考えられない。日本や日本人の善を救おうという正義感からだろう。

幕末や昭和初期をを否定する人は、その正義感がうざいということなのだろうけど、そんなこと言わないで。善意に悪意で答えるのは可能ではあるけれども、いいことではないと思う。  

明らかに近代日本において孟子は生きていた。浩然の気はまさに「天地の間に満つ」だった。

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神経症というのは現代において蔓延している。その理由というのは、メンタルが弱いのに無理にがんばるということになるだろう。まあだいたいにおいて、メンタルが弱いのは本人の責任みたいなことになる。しかしこの世界は家畜小屋ではない。クソみたいな自己責任論は受け入れられない。

そもそも「メンタルが弱いのに無理に頑張る」とはどういうことなのか。

この世界にはがんばらなくてはいけないというプレッシャーがある。学校には行かなくてはいけないし、卒業すれば就職もしなくてはいけない。就職なんて、誰も知っている人がいないところで役に立つ人間になるということで、これはかなりハードルが高い。
昔のように、親の手伝いをしていたらそのまま大人になれるというのとは違う。

この世界は頑張ることが前提となっている。

世界自体には上向きの角度がついていて、その角度に従ってあらゆる価値観が秩序付けられている。何のために世界に角度がついているのか。意味とかはないんだよね。世界の角度を確信しているなら、問題はないのだけれど、もし傾いた地面に疑問を抱いたとしたら? 頑張る角度に意味がないなんて頭の中で声が聞こえたとしたら?

私は思うのだけれど、日本は何らかの強力な言説によってその世界を傾けた。傾いた世界は固定されて、必要とされなくなった強力な言説は失われた。だから、傾いた世界のその下は空洞なんだよね。その空洞を、ある人は無意味と呼ぶし、ある人は自由と呼ぶ。その無意味や自由に耐えられなくなった時に、神経症となるのだと思う。これは病気ではなく必然だ。  

私は今まで、無意味に孟子を語ってきたわけではない。「孟子」という言説は、読んで面白いとか見て楽しいとか、そのようなレベルをはるかに超えて、崩れかけている心の空洞をみっしりと埋めるほどの力を持っている。そもそもこの世界を傾け、そして失われてしまった言説とは「孟子」だからだ。

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孟子の時代、古代中国の紀元前300年、中国大陸は総力戦の戦国時代だった。春秋戦国の後期ということになるか。日本の戦国時代の名称も、中国の春秋戦国の戦国からとられている。

孟子の時代、紀元前300年の中国大陸は、七つの巨大な領域国家が覇を争うという状況だった。そもそも「国家」という言葉は、君主の治める国と君主の家臣が支配する家とがつながって出来た言葉だ。国家という言葉自体が総力戦を象徴している。

実際に、戦国時代の中国の人口は2000万で、長平の戦いで趙という国が失った兵力が40万という。趙というのは七つあった大国の一つだから、人口300万として、そのうちの40万を失ったということになる。消耗率13%ということになる。第二次大戦の日本の消耗率は4%程度、ソ連は14%だったから、中国戦国の総力戦の具合というのは推して知るべしだろう。

奴隷を戦場に繰り出しても、まともに戦うわけはない。国民を戦争に動員するためには何らかの強力な言説が必要だっただろう。おそらく様々な言説があっただろう。そのうちの一つが「孟子」だったと思う。

孟子は人の性善説を言い、君主は「国民の性善」を育てる責任を持つと説く。結論を言えば、君主が国民の善を育てることによって、国民は国のためにその命を自発的に捧げるようになるなるだろうということ。「孟子」は結局そのような言説にあふれている。

一つ例をあげてみよう。梁恵王章句下12を、私の現代語訳で以下に紹介する。

「穆公(ぼくこう)は孟子に尋ねる。今度の戦いで我が国の指揮官が33人死んだ。だが兵卒は誰も死んでいない。逃げた兵卒を誅殺しようにも、数が多すぎる。結局、軍の統制を保つにはどのようにすればいいのだろうか。孟子は答えて言う。あなたの国では、凶作のときは老人は川原に死体を捨てられ、若者は他国に食い扶持を求め四散している。それなのに、王の蔵には米が満ち溢れているという。これは人民を見殺しにしていると変わらない。曾子はかつてこのように言った、「戒めよ、戒めよ、汝から出たものは汝に帰るだろう」。王の民は王に仕返しをしただけだ。あなたは国民をとがめることはできない。もし王が国民に仁政を行うなら、王に親しみ、国家のために死ぬようになるだろう」

書き下し文
鄒と魯と鬨[たたか]う。穆公問うて曰く、吾が有司死する者三十三人、而して民之に死する莫し。之を誅するときは、則ち勝[あ]げて誅す可からず。誅せざるときは、則ち其の長上の死を疾[にく]み視て救わず。如之何してか則ち可ならん
孟子對えて曰く、凶年饑歳には、君の民老弱は溝壑に轉[まろ]び、壯者は散じて四方に之く者、幾千人。而して君の倉廩實[み]ち、府庫充てり。有司以て告[もう]すこと莫し。是れ上慢[おこた]りて下を殘[そこな]うなり。曾子曰く、戒めよ戒めよ。爾に出づる者は、爾に反る者なり、と。夫れ民今にして後に之を反すことを得たり。君尤むること無かれ
君仁政を行わば、斯ち民其の上に親しみ、其の長に死なん



仁政とは、国民の善を育てるような政策で、国民の性善を育てる努力をするなら、国家は一体となるということだ。これは君主が国民をコントロールしようというレベルではない。君主も国民も互いに捨て身だということだ。  身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。  孟子とは戦国というギリギリの世界のギリギリの言説だ。東アジアにこのような言説があることはすばらしいことだ。まったくのところ、歴史の重みというものを感じる。

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孟子の基本概念は性善説だ。孟子の思想は、性善説をもとに組み立てられている。儒教というと、君主と家臣、父と子などという秩序を重視するという保守的なイメージなのだけれど、孟子はちょっと違う。人の性善を最も重視するわけだから、必然的に君主の権威も低下する。突き詰めて考えれば、君主というものは人民の性善を育成する限りにおいて、君主という地位を維持できるということにならざるをえない。

「孟子」の梁恵王章句下8の有名な言説を私の現代語訳で紹介する。
桀(けつ)、紂(ちゅう)は古代中国の伝説の暴君。

「斉王は孟子に尋ねて言う。湯は桀を放ち、武王は紂を討ったという、これは本当にあったことか? 家臣がその君主を殺すというのが許されるのか? 孟子は言う、仁を損なうものを賊といい、義を損なうものを残という。残賊のもの、これを一夫という。一夫の紂が家臣に殺されたということは聞いたことはあるが、君主の紂が家臣に殺されたという話は聞いた事がない」

書き下し文
齊の宣王問うて曰く、湯桀を放[お]き、武王紂を伐つということ、有りや諸れ、と。孟子對えて曰く、傳に之れ有り、と。
曰く、臣其の君を弑すこと可なりや
曰く、仁を賊[そこな]う者之を賊と謂う。義を賊う者之を殘と謂う。殘賊の人之を一夫と謂う。一夫紂を誅することを聞く。未だ君を弑することを聞かず、と。

ここの孟子の言説は、昔から最も孟子の中で問題になるところだ。保守的な世界では、家臣が君主に反逆するということはありえないということなのだろう。しかし、人民の性善こそが最も大事であると考えるなら、王とは人民の性善を育成する責任があり、その責任を放棄する王は殺されてもしょうがないということになる。役に立たない王はチェンジだということだ。これは論理の必然であり、この必然を当たり前のように貫いた孟子は、全くすばらしいと思う。

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「孟子」における牛山を使った性善説の説明を、書き下し文と私の訳で解説します。


【性善説とは】


孟子の思想の中心は性善説だ。性善説とは、人間の本質は善だというもの。孟子の言説はこの性善説を元に組み立てられている。

でも人間の本質が善だなんて、全くおめでたいという考えもありえる。孟子さん、現実の社会には、いい人もいるし悪いひともいるでしょう? というのが普通の感覚だと思う。もちろん「孟子」の中でも、そのような質問を孟子自身にぶつけたものがいる。その質問に対して、孟子はどのように答えたか? 

告子章句上8の孟子の牛山の言説を見てみる。以下に私の現代語訳を書く。そのあとに書き下し文を掲載。

『孟子は言う。あの牛山を見ろ。あの山はかつて木に覆われ美しかった。だが薪として、木は切られてしまった。だが山はまだ生きていて、雨や露の潤すところ、切られた切り株にも緑がたちこめた。ところが人々は牛や羊を放牧する。やわらかい緑もすべて食べられてしまった。長い月日がたち、何もなくなった山を見て、人々は、この山ははじめから何もなかったと思うようになる。しかしこの今の牛山は、本当にあるべき牛山の姿なのだろうか? 人間の心も、この牛山と同じなのではないだろうか? 人が良心を無くしてしまう理由も、日々において牛山の木が失われてしまったことと同じなのではないだろうか? 日ごとに木を切ったのでは、その美しさを保つことはできない。あの夜明けの緑の芽生えも、良心を失った人が多いことを思うなら、昼間にそれを牛や羊に食べられてしまったのだろう。このようなことを繰り返せば、緑の芽生えも失われる。緑の芽生えが失われれば、人は禽獣と変わらなくなるだろう。人が禽獣であるさまを見て、その人は善であったことはないとして、そのことで本当に人の性善を否定したことになるのだろうか。正しく育てれば成長しないものはないが、育てるのをやめればそれは消えてしまう。孔子が、「取ればあり、捨てれば失う、出入り時なく、あるところを知らない」と言ったのも、このような意味ではないのか?』

孟子曰(もうしいは)く、
牛山(ぎゅうざん)の木も嘗(かつ)ては美なりき。
其の大いなる國に郊(ちか)きところなるに以りて、
斧斤(おのまさかり)はこれを伐る、いかで美と爲(な)るべけんや。
是れ、其の日夜の息(やしな)うところ、雨露の潤(うるお)すところとなりて、
萠(めばえ)・蘗(ひこばえ)の生ずるもの無きにはあらざるも、
牛羊また從よりこれを牧す。
是の以に、彼の若く濯濯(たくたく)たるなり、
人は其の濯濯たるを見れば、
未だ嘗て材(ざいもく)あらじと以爲わんも、此れ豈(いか)で山の性ならんや。

人に存するものと雖(て)も、豈で仁義の心なからんや。
其のひとの、其の良心を放つ所以のものは、
亦(ま)た猶(な)お斧斤の、木に於るがごとし。
旦旦(ひごと)にしてこれを伐らば、いかで美と爲るべけんや。
其の日夜の息(やしな)うところとなり、平旦(おだやか)なる氣あるも、
其の好惡(こうお)が人と相い近きもの幾(ほとん)ど希(まれ)なるは、
その旦昼(ひるま)の爲なうところ、有たこれを梏(みだ)し亡わしむればなり。
これを梏(みだ)して反覆すれば、其の夜氣も(良心を)存せしむるに足らず。
夜氣も存せしむるに足らざれば、その人の禽獸を違ることも遠からず。
人はその禽獸のごときを見れば、
未だ嘗て才(もちまえ)あらじと以爲(おも)わんも、
これ豈(いか)で人の情(実)ならんや。



善意に悪意で答えるような人はいる。しかしそのような人を諦めるのではなく、それぞれが人間の性善を信じ、結局は社会全体で全てを救っていこうということ、それが孟子だと思う。


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