村上春樹と大江健三郎の文学の傾向は似ている、ということがよく言われます。
簡単なところで言うと、村上春樹の作品にも大江健三郎の作品にも四国がよく出てきます。
大江健三郎は伊予の喜多郡生まれなので、四国が作品の舞台になることが多くなることも理解できます。しかし村上春樹は京都生まれの西宮育ちで、大学は早稲田で東京暮らしで、四国とはあまり接点がないような。
【村上春樹の中での四国】
村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」で主人公の失踪した妻から来た手紙の消印が高松でした。
「ねじまき鳥クロニクル」では、ある特定の井戸が重要な役割を担うのですが、その井戸の所有者家族が四国で一家心中しています。
「海辺のカフカ」では、主人公の少年が家出した結果居ついた場所が高松でした。少年は高知の山奥に家を借り、そこで幻想的な体験をします。
「騎士団長殺し」に登場する免色さんは、その珍しい苗字のルーツは四国であるらしい、と語られたりしています。
村上春樹は、作品中で無理矢理に四国を出している感じです。これは村上春樹の大江健三郎に対するオマージュではないかとも考えることも可能です。
【村上春樹と大江健三郎の文学】
村上春樹と大江健三郎の文学の具体的な内容の似ていることについて、これは大江健三郎の初期の作品については当てはまるとおもいます。
大江健三郎の最初期の短編である「奇妙な仕事」から、その主人公と登場人物の女子学生との会話での主人公パートを抜粋してみます。
『たいへんだな、と目をそむけて僕はいった』
『火山を見に? と僕は気のない返事をした』
『君はあまり笑わないね、と僕はいった』
どうでしょうか?
私は、村上春樹に出てくる「悪い奴じゃないのだけれどちょっと不愛想」な主人公たちと似ているところがあるのではないかと思います。
これもまた大江健三郎の最初期の短編である「死者の奢り」(ししゃのおごり)は、主人公「僕」が、大学の医学部でアルコール水槽に保存されている解剖用の死体を処理のアルバイトを、辛気臭い女子学生といっしょにするという話なのですが、小説内での語り手が一人称の「僕」ですから、村上春樹の小説の感覚と似ています。
昭和30年ごろの大江健三郎の文学における問題意識というのは、寄り掛かる価値観を失った若者を描写することだったと思います。
昭和20年後半は戦前と戦後の価値観の変わり目で、戦中に受けていた教育規範が胡散霧消し多くの人が心の軸を失ってしまい、人生経験の少ない若者の自殺率が異常に高くなっていた時代でした。
戦後の確固とした価値観を失った時代に生きた若者の多くは、価値というのは相対的なものであるという場に至って、結果として生きる力を失ってしまったということなのでしょう。同じようなタイプの青年を描いているという意味で、初期の大江健三郎の作品と村上春樹の作品とは似ているところがあると思います。
しかし大江健三郎は、価値が相対的だという場に落ち込んでしまった青年を描くという態度から、生きる力を失った人はどのようにしたら救われるのかという文学的態度に一歩踏み出しました。遍歴の末、イーヨーというヒーローを得て大江文学は一つの到達点を示現したと思います。
これに対して村上春樹の文学は、大江健三郎と違って、新しい世界に一歩を踏み出すということがなかったと言えます。いつまでも「ノルウェイの森」の劣化版を書いています。というか、書けば書くほど劣化していっています。
これは一歩踏み出した世界から見れば、村上春樹の文学は劣化しているように見えるということになります。
価値が相対的だという世界にとどまり続ければ、村上春樹の世界は時とともに深化しているように見えるでしょう。
世界に実体としての価値観があるか、それとも価値観というのはすべからく相対的なものであるかは、それぞれの人の判断によるものであるでしょうから、どっちの世界観が正しいとかいうものもないとは思います。
ただ、大江健三郎と村上春樹の文学というのは、はじめは同じような地点から出発したのですが、あとで方向性が全く異なってしまったということになるでしょう。
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村上春樹「ノルウェイの森」 あらすじをたどりながらの書評
簡単なところで言うと、村上春樹の作品にも大江健三郎の作品にも四国がよく出てきます。
大江健三郎は伊予の喜多郡生まれなので、四国が作品の舞台になることが多くなることも理解できます。しかし村上春樹は京都生まれの西宮育ちで、大学は早稲田で東京暮らしで、四国とはあまり接点がないような。
【村上春樹の中での四国】
村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」で主人公の失踪した妻から来た手紙の消印が高松でした。
「ねじまき鳥クロニクル」では、ある特定の井戸が重要な役割を担うのですが、その井戸の所有者家族が四国で一家心中しています。
「海辺のカフカ」では、主人公の少年が家出した結果居ついた場所が高松でした。少年は高知の山奥に家を借り、そこで幻想的な体験をします。
「騎士団長殺し」に登場する免色さんは、その珍しい苗字のルーツは四国であるらしい、と語られたりしています。
村上春樹は、作品中で無理矢理に四国を出している感じです。これは村上春樹の大江健三郎に対するオマージュではないかとも考えることも可能です。
【村上春樹と大江健三郎の文学】
村上春樹と大江健三郎の文学の具体的な内容の似ていることについて、これは大江健三郎の初期の作品については当てはまるとおもいます。
大江健三郎の最初期の短編である「奇妙な仕事」から、その主人公と登場人物の女子学生との会話での主人公パートを抜粋してみます。
『たいへんだな、と目をそむけて僕はいった』
『火山を見に? と僕は気のない返事をした』
『君はあまり笑わないね、と僕はいった』
どうでしょうか?
私は、村上春樹に出てくる「悪い奴じゃないのだけれどちょっと不愛想」な主人公たちと似ているところがあるのではないかと思います。
これもまた大江健三郎の最初期の短編である「死者の奢り」(ししゃのおごり)は、主人公「僕」が、大学の医学部でアルコール水槽に保存されている解剖用の死体を処理のアルバイトを、辛気臭い女子学生といっしょにするという話なのですが、小説内での語り手が一人称の「僕」ですから、村上春樹の小説の感覚と似ています。
昭和30年ごろの大江健三郎の文学における問題意識というのは、寄り掛かる価値観を失った若者を描写することだったと思います。
昭和20年後半は戦前と戦後の価値観の変わり目で、戦中に受けていた教育規範が胡散霧消し多くの人が心の軸を失ってしまい、人生経験の少ない若者の自殺率が異常に高くなっていた時代でした。
戦後の確固とした価値観を失った時代に生きた若者の多くは、価値というのは相対的なものであるという場に至って、結果として生きる力を失ってしまったということなのでしょう。同じようなタイプの青年を描いているという意味で、初期の大江健三郎の作品と村上春樹の作品とは似ているところがあると思います。
しかし大江健三郎は、価値が相対的だという場に落ち込んでしまった青年を描くという態度から、生きる力を失った人はどのようにしたら救われるのかという文学的態度に一歩踏み出しました。遍歴の末、イーヨーというヒーローを得て大江文学は一つの到達点を示現したと思います。
これに対して村上春樹の文学は、大江健三郎と違って、新しい世界に一歩を踏み出すということがなかったと言えます。いつまでも「ノルウェイの森」の劣化版を書いています。というか、書けば書くほど劣化していっています。
これは一歩踏み出した世界から見れば、村上春樹の文学は劣化しているように見えるということになります。
価値が相対的だという世界にとどまり続ければ、村上春樹の世界は時とともに深化しているように見えるでしょう。
世界に実体としての価値観があるか、それとも価値観というのはすべからく相対的なものであるかは、それぞれの人の判断によるものであるでしょうから、どっちの世界観が正しいとかいうものもないとは思います。
ただ、大江健三郎と村上春樹の文学というのは、はじめは同じような地点から出発したのですが、あとで方向性が全く異なってしまったということになるでしょう。
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