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 坂口安吾「不連続殺人事件」は昭和23年発表。



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坂口安吾には長島萃(あつむ)という友人がいた。長島は何度か自殺未遂を繰り返し、昭和8年に脳炎にかかりそのまま発狂して死亡した。
坂口安吾は昭和9年発表の「長島の死」でこう書いてある。

『私は彼のように「追いつめられた」男を想像によってさえ知ることができないように思う。その意味では、あの男の存在はわたしの想像力を超越した真に稀な現実であった。もっとも何事にそうまで「追いつめられた」かというと、そういう私にもハッキリとは分からないが恐らくあの男のかんする限りの全ての内部的な外部的な諸関係において、その全部に「追いつめられて」いたのだろうと思う』

全てに追いつめられる男とはなんなのだろうか。おそらく現代の精神医学では何らかの病名はつくだろう。ただ病名がついたからといって追いつめられる要素が一つ増えるだけの話で、全てに追いつめられていることには変わりがないだろう。

長島は何に追いつめられたのか?ということを純文学で読みたかったが、坂口安吾は「全てに追いつめられる男」を推理小説で表現した。それがこの「不連続殺人事件」だと思う。

ここからはネタバレ注意です。長島萃から見た不連続殺人事件のあらすじを書きます。

金持ちのボンボンである文学青年一馬(長島萃)は、ピカ一という画家からその美しい妻であるあやかさんを奪い取る。しかしそもそもこれが罠。ピカ一とあやかはぐるになって、一馬の妹2人と父親と一馬本人をこの順番で殺し、一馬の遺産を根こそぎ貰おうという作戦。
戦後すぐの夏、一馬の田舎の屋敷で一馬の文学仲間が避暑に集まることになった。どさくさにまぎれて、あやかはピカ一を含め何人か関係のない人間にも招待状を出した。
最初に殺されたのは望月という文学者である。望月が殺された時、あやかは一馬と一緒にいた。夫婦だからあやかのアリバイにはならないが、これで数馬は妻のあやかは犯人ではないと確信した。望月はピカ一に殺されたのだが、これは一馬にあやかだけは犯人ではないと思わせるためだけの殺人であった。この後、一馬の妹2人と父親がピカ一とあやかに交互に殺される。もちろんピカ一とあやかは誰の前でも犬猿の仲を装っている。二人がつながっていることは誰にも分からない。
最後の仕上げだ。あやかは一馬に二人の寝室で毒入りの水を飲ませる。一馬はその水を飲んだ。あやかだけは犯人ではないと確信していた。自分を確信させるために、愛する妻のあやかが人一人殺したとは想像できかった。一馬は死んで、あやかは一馬の死を自殺だと証言した。
しかしここで名探偵登場というわけです。

不連続殺人事件の中で、一馬は策略によって全てのものに追いつめられて最後に殺される。何故、一馬すなわち長島が死ななくてはならなかったのかということは、現実よりも一次元下がった推理小説だから私たちにも理解できた。しかし現実の世界の死というのは本当のところ、理解できないところが残る。
私は中学2年の時にクラスメートが、24歳の時に同年代のいとこが自殺したが、彼彼女が何故自殺したのかは最後のところで分からない。ただ私としては生き残ったもののひけめのようなものがあるだけだ。

犯人と被害者の恋人がグルというところが「ナイルに死す」と同じですね。


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坂口安吾の天皇制に対する評価の結論を言いますと、日本国民はそろいもそろって天皇制に甘えているから太平洋戦争であのような大惨敗を喫したのだと。だから天皇制とは国民を甘やかす装置のようなものだというわけです。

社会全体が甘い構造になっているから、貴族の子供が貴族となり、やがて貴族議員として日本の枢機をつかさどるようになりました。その代表は近衛文麿であり西園寺公望でした。


【近衛文麿】


近衛文麿は生まれながらのサラブレッド。近衛家とは、天皇家に次ぐ家柄である5摂関家のうちの一つ。5摂関家は明治17年の最初の叙勲のときに、明治維新に何の功績もないにもかかわらず最上位の公爵を与えられています。
近衛文麿自身は、昭和に入り二度総理大臣になっています。昭和以降二度総理大臣になったものは、若槻礼次郎、近衛文麿、吉田茂、安倍晋三、と4人しかいません。
実は、近衛は一度目と二度目の総理大臣の間に
一度総理就任を要請されたのですが、病気を理由に辞退しています。二二六事件の直後であり、おそらく暗殺を恐れたのであろうと推測されています。
昭和16年10月、太平洋戦争がほぼ不可避になった時期に内閣を投げ出し、後継の総理は東条英機となりました。
終戦後近衛は、自分には戦争責任はないという態度を示していましたが、GHQから戦犯としての逮捕命令が出ると自殺しています。

近衛に対する評価なのですが、国民から人気があったとか自殺したのは潔いとか評価されることがありますが、私はどうかと思います。
まず巣鴨に連行されたA級戦犯で軍人は逮捕前に腹を切るべきでしょう。軍首脳が兵士に対して捕虜の辱めを受けずと玉砕を支持していたのに、自分たちだけが残された老後のわずかな時間を惜しむというのではつじつまが合わないです。A級戦犯の軍人が腹を切った後、日本の立場を近衛が法廷で語るというのが筋です。いざというときの責任を果たすために、近衛家は明治の最初の叙勲で公爵を与えられているわけですから。東条の自殺失敗は恥ですし、近衛の自殺は弱さです。


【西園寺公望】


西園寺公望は公爵です。明治憲法下での総理大臣というのは、国会議員の多数決によって選挙されるのではなく、元老と呼ばれる政府有力者の合議によって指名されていました。元老とは明治維新の元勲などで構成されていたのですが、大正半ば以降、老齢により山縣や松方の政治力が弱くなると、西園寺公望がただ一人の元老として、総理大臣指名のヘゲモニーを握るようになりました。
昭和15年11月死去。

明治憲法の最大の欠陥というのは、この元老制度にあると思います。明治憲法では形式上、総理大臣は天皇が指名することになっていますが、天皇が政治に関わるというのは天皇の権威を傷つける可能性があり、明治維新の元勲たちが総理指名の役割を果たしていました。時がたち維新の元勲が消えていくにつれて、元老制度と西園寺だけが残るという奇怪な事態になってしまいました。
西園寺の首相指名も、みなが納得するであろう人を選ぶという、ある意味雰囲気で総理大臣を選ぶという状況になってしまい、大日本帝国の迷走が深まった最大の原因でしょう。


近衛や西園寺が道を誤ったとするなら、それは彼らの能力の問題ではなく、彼らを選ばざるを得なかったシステムの問題でしょう。
そのシステムの最上位には天皇がいて、本来は自分を強く持って国民を指導するべきエリートが、最後には天皇に寄り掛かり、天皇に甘え、強いリーダーシップを発揮するような場もなく雰囲気政治みたいなことになってしまうのです。


無題


坂口安吾は「天皇陛下にさゝぐる言葉」のなかでこのように書いています。

『名門の子供には優秀な人物が現れ易い、というのは嘘で、過去の日本が、名門の子供を優秀にした、つまり、近衛とか木戸という子供は、すぐ貴族院議員となり、日本の枢機にたずさわり、やがて総理大臣にもなるような仕組みで、それが日本の今日の貧困をまねいた原因であった。つまり、実質なきものが自然に枢機を握る仕組みであったのだ。

人間の気品が違うという。気品とは何か。近衛は、天皇以外に頭を下げる必要はないと教育されている。華族の子弟は、華族ならざる者には頭を下げる必要がないと教育されている。
名門の子弟は対人態度に関する限り、自然に、ノンビリ、オーヨーであるから、そこで気品が違う。
こんな気品は、何にもならない。対人態度だけのことで、実質とは関係がない。
ところが、日本では、それで、政治が、できたのだ。政策よりもそういう態度の方が政治であり、総理大臣的であった。総理大臣が六尺もあってデップリ堂々としていると、六尺の中に政治がギッシリつまっているように考える。六尺のデップリだけでも、そうであるから、公爵などとなると、もっと深遠幽玄になる。』

日本のエリートは天皇に甘える、しかし天皇に実質などはない、という恐るべき関係性を安吾は主張しています。

福沢諭吉は
「一身独立して一国独立す」
と言いましたが、日本のエリートですら一身が独立していないわけで、これで一国が独立するというのはありえないでしょう。

エリートではない一般庶民にたいして、福沢諭吉は厳しいのですが、坂口安吾は優しいです。
福沢は、庶民が上のものにはペコペコし下のものには威張るという態度をゴム人間と表現し、このような庶民からまず元気を注入して、一身独立させねばならないと考えていました。
ところが坂口安吾は庶民に対して「天皇陛下にさゝぐる言葉」でこのように語ります。

『近衛は、天皇以外に頭を下げる必要はないと教育されている。
一般人は上役、長上にとっちめられ、電車にのれば、キップの売子、改札、車掌にそれぞれトッチメラレ、生きるとはトッチメラレルコト也というようにして育つから、対人態度は卑屈であったり不自由であったり、そうかと思うと不当に威張りかえったり、みじめである。』


一般人は実際に生活をしていかなくてはならないですから、天皇と関係ないところで生きていくしかありません。戦前は一君万民の時代、日本人個々が直接天皇につながる時代だったという意見もありますが、実際は、社会の底辺に近づくにしたがって「天皇」というものは自分とは関係なくなるという状況があります。
これは今の時代も同じでしょう。

坂口安吾は日本人を、エリート、一般人、芸人と三つに分けています。作家はどこに属するのかというと、安吾的には芸人枠になります。
普通、作家というのはエリートに入ると思われがちで、作家自身もエリートの自意識を持ったりしがちなのですが、安吾ははっきり「作家は芸人」「作家は文章の技術者」ということを前提にしています。作家は碁打ちや相撲取りなどと同レベルの芸人である、という自覚から安吾は出発しています。

国家のエリートや一般人は、天皇に甘えることなく一身独立して身を立てていくのが正しい道ではあるのですが、芸人の道は正道とは異なります。
歴史的に、天皇は芸人の親玉という側面があります。

芸人であるという自覚を持つ作家安吾は、ギリギリのところで天皇制の否定を回避します。
「続堕落論」に以下にあります。

『生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるにすぎず、その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々うんぬんし未来に対して約束するなどチョコザイ千万なナンセンスにすぎない。人は無限に堕ちきれるほど堅牢けんろうな精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるであろう。そのカラクリを、つくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々は先ず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。』

この「カラクリ」というのは天皇制的なものを指しています。カラクリに寄り掛かり虚無の中を生きるのは芸人だけで十分であり、そのほかの実体を持つ生活者は、その一身を独立させ社会に貢献せよというわけです。突き放すような無責任さというか、愛のこもった投げやりさというか、坂口安吾の良さというのは、このようなギリギリのところに存在します。


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坂口安吾は、太宰治が昭和23年6月13日に玉川上水で愛人山崎富栄と入水死した理由を「太宰治情死考」で語っています。

人が自殺した場合、その理由は残された者には分からないものです。告白するべき人は死に、分からないから残されたものは苦しむ。
しかし、坂口安吾は「太宰治情死考」の中で、太宰治の死を一時的メランコリーの結果だと断言しています。

まず、一部公開されている、太宰の妻にあてた遺書を以下に見てみます。

『子供は皆、あまり出来ないやうですけど陽気に育ててやって下さい たのみます。あなたを きらひになったから死ぬのでは無いのです。小説を書くのがいやになったからです。みんないやしい欲張りばかり。井伏さんは悪人です。』

「小説を書くのがいやになったのです」
というところは、文豪の悩みのように聞こえますし、
「井伏さんは悪人です」
というところは、思わせぶりな謎を残すような感じです。

ですから太宰治の自殺については、様々な推測が行われていますが、「太宰治情死考」の中で坂口安吾の語る太宰治の死の理由を見ていきましょう。

まず坂口安吾は相撲取り話から始めます。相撲取りは社会的な知識は全くないが、こと相撲に関しては大変な知識を有していると言います。実際このように語ります。

『角力トリのある人々は目に一丁字もないかも知れぬが、彼らは、否、すぐれた力士は高度の文化人である。なぜなら、角力の技術に通達し、技術によって時代に通じているからだ。角力技の深奥に通じる彼らは、時代の最も高度の技術専門家の一人であり、文化人でもあるのである。』

相撲取りは高度の技術専門家であるがゆえに社会的には非常識であると、坂口安吾は言います。これは作家も同じで、優れた作家というのは高度の記述専門家であるから、太宰治も社会的には非常識であったということです。

太宰治は山崎富栄という女性と心中しました。坂口安吾は、山崎富栄はあまり魅力的な女性とはいえなかったと言っています。「太宰治情死考」にこうあります。

『然し、こんな筋の通らない情死はない。太宰はスタコラサッちゃんに惚れているようには見えなかった。サッちゃん、というのは元々の女の人のよび名であるが、スタコラサッちゃんとは、太宰が命名したものであった。利巧な人ではない。編輯者が、みんな呆れかえっていたような頭の悪い女であった。』


wikiより

さっちゃんはなかなかの美人に見えますが、安吾の評価は低いですね。

安吾は、太宰が酔っ払って一時的にメランコリーになり、一緒に死のうと「すたこらさっちゃん」に言ったら、彼女は真に受けて丁寧に彼女の遺書を書き、よろこんで太宰の首っ玉にしがみついて共に玉川に入水したのだろう、と推測しています。

「太宰治情死考」にはこのようにあります。

『太宰は小説が書けなくなったと遺書を残しているが、小説が書けない、というのは一時的なもので、絶対のものではない。こういう一時的なメランコリを絶対のメランコリにおきかえてはいけない。それぐらいのことを知らない太宰ではないから、一時的なメランコリで、ふと死んだにすぎなかろう。』

芸道というものは常に崖の上を歩いているような厳しいものだから、太宰ほどの作家になると一時的な不調でメランコリーになって、つい自殺のまねごとをしてみるということはありえるということです。
ですから太宰の死をあれこれ考えて、その死因を確定するということはあまり意味がないということになります。

「太宰治情死考」の最期にはこうあります。

『芸道は常時に於て戦争だから、平チャラな顔をしていても、ヘソの奥では常にキャッと悲鳴をあげ、穴ボコへにげこまずにいられなくなり、意味もない女と情死し、世の終りに至るまで、生き方死に方をなさなくなる。こんなことは、問題とするに足りない。作品がすべてゞある。』



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坂口安吾「堕落論」での主張というのは、

日本人は、戦争が終わってまた元の日本的なこだわりの社会に戻るのではなく、そこをさらに突き抜け降下し、人間としての実感のある生活の大地に降り立つべきだ、

というものです。

これだけだとちょっとわからないかもしれないので、本文をたどりながら読んでみます。





【堕落論】


赤穂浪士の切腹の話から始まります。

『昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角の名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。』

赤穂浪士の物語は、日本的なこだわりにあふれている、ということでしょう。
この後、日本的こだわりの例がいくつかあげられます。

童貞処女のまま愛の一生を終らせようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが世人の同情は大きかった話。

戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で、この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた話。

武士は仇討のために草の根を分け乞食となっても足跡を追いまくらねばならないという話。

学生と娘は心中したくはなかったし、戦争未亡人は操をたいして守りたくもなかったし、武士はかたき討ちなど本当はやりたくなかったのだけれど、日本的こだわりの同調圧力で、やらなくてはいけないかのような気になってしまったということでしょう。

そして個々の日本的こだわりが一つになり、巨大なうねりになったものが日本の歴史であると安吾は言います。
安吾は以下のような表現をしています。

『歴史は個をつなぎ合せたものでなく、個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿に於て政治も亦また巨大な独創を行っているのである』

【戦争】

そしてあの戦争とは何だったのか?
安吾はこのように言います。

『この戦争をやった者は誰であるか、東条であり軍部であるか。そうでもあるが、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。』

さすがの論考ですね。

あの巨大な戦争の時に、日本人は細かい見栄やこだわりに関わりあう暇がなくなってしまって、大きな運命に身を任せるような状態になってしまったといいます。それを安吾は美しい理想郷のようだったと言っています。

『近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締なしで眠っていたのだ。戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。そしてもし我々が考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして壮観な見世物はないだろう。』

しかし戦争は終わり、日本人は元の日本人的こだわりの場所へ戻るのでしょうか。
戦争という巨大な世界を見た後では、なかなか元のこだわりの世界に戻るのは難しいというか、バカバカしいみたいなことはあるでしょう。そもそも日本の場合、変な非合理性にこだわって大惨敗を喫したというのもありますから。

日本人はこだわりの世界のもっと底から、恰好をつけるような場所ではなく、好きな女には好きというような場所から自分たちの生活を積み上げていかなくてはならない、と安吾は言うわけです。もっともです。
じっさいはこのようにあります。

『戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。』

恰好をつけて生きるような、そんなくだらない高みからは堕ちろと。そのような高みがくだらないということは、まさに戦争が教えてくれただろう、と。

現代という平和な時代に長く生きていると、恰好をつけて生きるのが有利な場合が多いですから、なかなか堕ちるというわけにもいかないのですが、一応「堕落論」的世界を知っておくのも悪くないと思います。


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坂口安吾「続堕落論」は「堕落論」の進化バージョンです。
その内容というのは、

こだわりや気取りなんていうものは、結局人を弱くする。人は現実の生活の中からこそ強い自分を作るべきだ、

ということを主張するものです。

「続堕落論」は、日本人のつまらないこだわりを一つ一つ挙げながら、最後に

「戦前のように気取れなくなったからといって、いつまでめそめそしてるんだ!!」

と絶叫するかのようなパターンをいくつも積み重ねていく、という構成になっています。

実際に見ていきましょう。


繝・Μ繝シ, 蝣戊誠縺励∪縺励◆, 繝薙・繝�, 豬キ, 鬚ィ譎ッ, 縺ァ縺�, 遐よオ�, 繧ウ繧ケ繧ソ, 豌エ


続堕落論】

最初は新潟の石油成金の話。

『中野貫一という成金の一人が産をなして後も大いに倹約であり、安い車を拾うという話を校長先生の訓辞に於て幾度となくきかされたものであった。百万長者が五十銭の車代を三十銭にねぎることが美徳なりや。』

金持ちが小銭を節約するのが美徳とされるような気取った社会なんてウンザリだっただろう、というわけです。

次は農村文化の話。

『戦争中は農村文化へかえれ、農村の魂へかえれ、ということが絶叫しつづけられていた。一口に農村文化というけれども、そもそも農村に文化があるか。文化の本質は進歩ということで、農村には進歩に関する毛一筋の影だにない。』

気取った都会人が農村にあこがれて農業を始めてみても、現実は厳しいというのは今でも同じです。

次は、額に汗することが大切だというこだわりについての反論。

『必要をもとめる精神を、日本ではナマクラの精神などと云い、五階六階はエレベータアなどとはナマクラ千万の根性だという。すべてがあべこべなのだ。真理は偽らぬものである。即ち真理によって復讐せられ、今日亡国の悲運をまねいたではないか。』

そんな非合理なことだから戦争に負けたんだ、と言われたら何も言い返せません。

そして、天皇制とは、日本がこだわりや気取りで首が回らなくなった時のための安全弁みたいなものであるという話。

『たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕ちんの命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。そのくせ、それが言えないのだ。』

気取った左翼が天皇制は必要ないなんて言うことがありますが、彼らのような人にこそ天皇制は必要なのでしょう。


【堕落とは】

坂口安吾は、このようにこだわりの馬鹿馬鹿しさを列挙して、気取って持ち上げられた世界からの離脱、すなわち堕落を叫びます。
真実の大地に降り立ち、好きな女には好きと言って、互いに裸で抱き合え、というわけです。

好きあった男と女が真実の大地に降り立ち裸で抱き合うというのは、はるか昔から変わらない真理でしょう。

しかし、この堕落の話は終戦直後の混乱期だったから説得力があったので、いまの平和な時代で堕落とかしていたらまずいのではないのか、という意見はあると思います。
妻や子供がいる立場で淪落の恋とかあまり自分勝手なことをして人を傷つけてもどうなのかとは思います。

こういう意見に対して坂口安吾は、

『善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野こうやを歩いて行くのである。善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。』

といいます。

歎異抄の有名な部分のなぞ解きまでされては困りましたね。

これはギリギリの場面での話であって、オヤジがキャバクラでキャバ嬢に入れあげいていいということではないでしょう。


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坂口安吾「風博士」は昭和6年発表です。

風博士という短編は、そのまま論理的に読んだのでは解析できないと思います。


ツリー, 冬, 裸の木, コナール, 枝, 風邪, ネイチャー, シーズン, 空

【風博士内容】

風博士は遺書を残して失踪したのですが、風博士の弟子であるらしい話者は遺書を根拠に、風博士は自殺したと断言します。
確かに遺書の最期にはこのようにあります。


『負けたり矣。刀折れ矢尽きたり矣。余の力を以てして、彼の悪略に及ばざることすでに明白なり矣。諸氏よ、誰人かよく蛸を懲こらす勇士なきや。蛸博士を葬れ! 彼を平なる地上より抹殺せよ! 諸君は正義を愛さざる乎! ああ止むを得ん次第である。しからば余の方より消え去ることにきめた。ああ悲しいかな。』


そして実際に風博士の自殺現場に、この弟子はいました。
このようにあります。


『已すでにその瞬間、僕は鋭い叫び声をきいたのみで、偉大なる博士の姿は蹴飛ばされた扉の向う側に見失っていた。僕はびっくりして追跡したのである。そして奇蹟の起ったのは即ち丁度この瞬間であった。偉大なる博士の姿は突然消え失せたのである。』


風博士は風になってしまったのです。
風博士は自分の意思で風になったので、この弟子は風博士の風への変化を自殺だと言っているわけです。

遺書によると、風博士が自殺した原因というのは、自分の奇妙な学説をタコ博士なる人物に否定されたから、ということになります。
あと、タコ博士に妻を寝取られたから、という理由も書いてはありましたが、そもそも風博士が失踪したのは、自分の結婚式の当日ですから。
風博士は、タコ博士に妻を寝取られたことを遺書の中でこのように書いています。


『余の妻は麗わしきこと高山植物の如く、実に単なる植物ではなかったのである! ああ三度冷静なること扇風機の如き諸君よ、かの憎むべき蛸博士は何等の愛なくして余の妻を奪ったのである。何となれば諸君、ああ諸君永遠に蛸なる動物に戦慄せよ、即ち余の妻はバスク生れの女性であった。彼の女は余の研究を助くること、疑いもなく地の塩であったのである。』



これから推測するに、タコ博士の奪ったであろう風博士の妻とは、単なる植物だったと思われます。

この風博士というのは、自殺前においてまともに喋ることもできません。
このようにあります。


『つまり偉大なる博士は深く結婚式を期待し、同時に深く結婚式を失念したに相違ない色々の条件を明示していた。
「POPOPO!」
 偉大なる博士はシルクハットを被り直したのである。そして数秒の間疑わしげに僕の顔を凝視みつめていたが、やがて失念していたものをありありと思い出した深い感動が表れたのであった。
「TATATATATAH!」』



風博士は

「POPOPO!」
「TATATATATAH!」
ぐらいしか喋ることができない知能レベルです。これでは2歳児程度でしょう。

風博士は風になり、最後の復讐としてタコ博士の体に入り込み、タコ博士をインフルエンザに犯して話は終わります。

【風博士解析】

話者の話を全てまともに採用したのでは、「風博士」は解析不可能でしょう。この話者が語る風博士の部分は全く信用できません。
喋ることもできない人物が遺書を残すというのもおかしいです。


『そして其筋の計算に由れば、偉大なる風博士は僕と共謀のうえ遺書を捏造ねつぞうして自殺を装い、かくてかの憎むべき蛸たこ博士の名誉毀損をたくらんだに相違あるまいと睨にらんだのである。』



などとは書かれていますが、風博士の遺書は、話者である「僕」が捏造したのでしょう。


「風博士」のなかで、風博士に関する部分がすべて信用できないとなると、この短編にはほとんど内実が残らないのではないかと言われそうなのですが。

【結論】

この「風博士」という短編は、頭のおかしい人物が死んだというだけの事実を、死んだときに風が吹いていたという事だけを話者が自分に引き付けて、狂人の内面までも推測しながら構成されたものでしょう。

親が死んだときに、遠くにいる子供の枕元に親が現れて何かしゃべった、というような話はよくあります。狂人が死んだときに風が吹いていた、だから狂人は風になったのだ、と考えてもそれほどおかしい話というわけでもないでしょう。

狂人を弔うために、狂人の狂った世界を再構成してみようという考えもあり得るでしょう。



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坂口安吾と阿部定は戦後に対談しています。

無頼派の坂口安吾と、恋人を絞め殺してその一物を切り取り、ふところに抱えて逃亡した日本史上もっとも有名な女性犯罪者である阿部定との対談ですから、これは興味があります。

阿部定事件は昭和11年5月に起こっています。3カ月前には226事件が起こっています。新聞は事件を大きく取り上げ、情夫を殺した後にイチモツを切り取り、大事そうに持っていたという、好奇心を刺激しやすい内容で報道しました。

ところが安吾は、実際会ってみると、阿部定は普通の女性だったと言っています。

安吾のエッセイによると、阿部定の彼氏というのは、首を絞められるのが気持ちいいという性癖があったといいます。
こういう人はたまにいます。
彼に言われるままいつものように首を絞めてやっていたら、そのまま彼氏が死んでしまいました。愛する彼氏とそのまま別れるのが嫌で、彼氏の一物を切り取り胸に抱えて逃げた、ということらしいです。

戦前において阿部定事件は確かにセンセーショナルだったかもしれないですが、戦後になって何度も反省されるべき凶悪事件というわけではないでしょう。
阿部定事件は、なぜ何度も繰り返し話題になってきたのか、不思議な感じはします。

坂口安吾は昭和22年のエッセイで、

「お定さんが、十年もたつた今になつて、又こんなに騒がれるといふのも、人々がそこに何か一種の救ひを感じてゐるからだと私は思ふ。救ひのない、たゞインサンな犯罪は二度とこんなに騒がれるものではない」

と言っています。

人々が何かから解放されようとする時代に、恋人を殺して一物を切り取って抱えて逃げた女、というのは、日本的な

「民衆を導く自由の女神」



みたいなものでしょうか。

これは男の都合ですね。
戦争を始めたのも男の都合で、戦争に負けたのも男の都合で、阿部定を持ち上げるのも男の都合でしょう。

女性が社会で男性に伍していく現代においては、阿部定は忘れられていくでしょう。


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坂口安吾は太宰治と同じく戦前戦後を通して活躍しましたが、戦前と戦後で精神の水位が、太宰よりもさらに変わらない作家です。このへんが安吾らしいと思います。

「堕落論」とか「続堕落論」はありきたりなので外して、さらに評論を中心に紹介します。

目次

【暗い青春】
【文学のふるさと】
【デカダン文学論】
【日本文化私観】
【死と影】
【不連続殺人事件】

【堕落論】
【続堕落論】




【暗い青春】

坂口安吾、昭和22年の評論。

安吾には長島萃(ながしま あつむ)という友人がいた。戦前の衆議院議員、長島隆二の子息であった。彼は若くして脳炎で死んだのだけれども、この長島萃をめぐる安吾の文章には一種異様な迫力がある。
こんな感じ、

「彼の死床へ見舞つたとき、そこは精神病院の一室であつたが、彼は家族に退席させ、私だけを枕頭によんで、私に死んでくれ、と言つた。私が生きてゐては死にきれない、と言ふのだ。お前は自殺はできないだらう。俺が死ぬと、必ず、よぶから。必ず、よぶ。彼の狂つた眼に殺気がこもつてギラギラした。すさまじい気魄であつた。彼の精神は噴火してゐた。灼熱の熔岩が私にせまつてくるのではないかと思はれたほどである。どうだ。怖しくなつたらう。お前は怖しいのだ、と彼は必死の叫びをつゞけた。 
彼はなぜ、そこまで言つてしまつたのだらう? そこまで、言ふべきではなかつた」

最後の言葉は語るべきではない、というのはあると思う。
現代のような世界に暮らしていると、どうやら自分の言葉の意味が相手に届いてないらしいということがあり得る。だからと言って最後の言葉を絶叫していいというものでもない。

よく新聞とかで、駅なんかで女性のスカートの中を盗撮して捕まったヤツの動機の告白で、
「スカートの中が見たかったから」
のようなことが書かれていたりするけれど、これって本当に最後の言葉だよなって思う。女の子のスカートの中を見たければ、いくらでも合法的な手段があるだろう。様々な可能性を排除して、ただ原因と結果のみの言葉、
「スカートの中が見たかったから」

怖ろしい。最後の言葉を要求する世界が怖ろしい。

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中で、ドミートリーの裁判の中で彼の恋人であるカテリーナがこのように告白する場面がある。

「あたしと結婚する気になったのだって、あたくしが遺産を相続したからに過ぎません。そうじゃないかとかねがね思っていました。ああ、このひとはけだものです。あたくしがあのとき訪ねていったことを恥じて、一生この人にびくびくし続けるだろう、だから自分はそのことで永久にあたくしを軽蔑し、優越感を抱いていられると、いつも思っていたのです」

カテリーナもドミートリーを愛していると感じた瞬間だってあっただろうし、もちろん憎んだ瞬間もあっただろう。カテリーナの存在というのはゆれていたのだけれども、「断言」することによって存在が固定されてしまう。

断言を要求する世界って怖ろしいと思う。そういう場所に追い込まれないよう注意しなくてはいけない。

【文学のふるさと】

「文学のふるさと」は坂口安吾、昭和16年の評論。

坂口安吾はこのように言う。

私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いし

ながら、ただ
しかし、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。

すなわち安吾のいう「ふるさと」というのは、
「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川」
みたいなノスタルジックな思い出の場所のようなものではない。

安吾は芥川龍之介の甥である葛巻という人物と親しくしていて、芥川の晩年の手記を見ることができた。その手記に、農民作家なる人が芥川の家を訪ねてきて、生まれた子供を殺して一斗缶に詰めて埋めたという話をする、というものがある。
農民作家に、
「あんた、これをひどいと思うかね。口減らしのために殺すというのを、あんたひどいとおもうかね」
と言われて芥川は言葉に詰まったという。

さて、農民作家はこの動かしがたい「事実」を残して、芥川の書斎から立去った

のですが、
この客が立去ると、彼は突然突き放されたような気がしました。たった一人、置き残されてしまったような気がしたのです。

この突き放すところのものを、安吾は「ふるさと」と言っている。

自分なりにいろいろ考えてみる。

「インターステラ」という映画がある。主人公たちは滅びゆく地球の代わりを探そうと別宇宙の惑星を巡るのだけれど、まー、ろくでもない惑星ばかりなんだよね。しかし他惑星の住環境が酷いのは惑星の責任ではなく人類の都合であって、これは全くどうしようもない。同情も正義も文学もない宇宙で主人公たちは悪戦苦闘する。別の宇宙空間で自分たちは世界から突き放されるのではないかという予感が満ちる中、実際何度かドーンって突き放される繰り返し。

結局「インターステラ」の面白さというのは、人類が宇宙(世界)に突き放されるところの「突き放され具合」にあると思う。
この突き放すところのものが、安吾のいう「ふるさと」ということになるのではないか。

中国思想にも同じ「ふるさと」観がある。荘子の中に、

会えば離れ、成すれば壊れ、角は砕け、貴は辱められ、愚は堕ちる。知を積み重ねても、それは悲しい。弟子よ、これを記せ。ただ道徳の郷があるだけだと

とある。

なぜ安吾がこのような「ふるさと」思想に至ったのかというと、太平洋戦争切迫の結果だと思う。あの戦争は日本にとって中国とアメリカとの両面戦争だった。正直、中国とアメリカ相手に両方同時に戦争するなんてあり得ないでしょう。ナチスドイツだってフランスを制圧して、返す刀でソ連に侵攻した。日本なんかよりはるかに合理的だった。日本は世界に突き放されて、その結果として見えたものが「ふるさと」なのではないか。残酷な「ふるさと」なんて見ずに死ねればそれに越したことはないのだろうが、見てしまったものはしょうがない。

安吾の後の「堕落論」などは「ふるさと」思想の延長戦上にある。生きよ堕ちよ、だから。

【デカダン文学論】

「デカダン文学論」の中で島崎藤村に対するディスり方が強烈。

島崎藤村は近代日本文学を代表する大作家だと思う。藤村の何がすごいかというと、近代文学のメインフレームである三人称客観形式というものを「破戒」の時点でほぼ完全にマスターしている点だ。「破戒」の発表は明治39年。

外部の視点で登場人物たちの内面を描きながら物語をまとめるという近代小説的作業というのは難しいのだけれど、藤村はこれを苦も無くこなしている。
夏目漱石だってなかなか藤村のようにはいかなかった。例えば「こころ」は一人称主観形式だし、「吾輩は猫である」は一人称猫観だ。

だから藤村の小説のすごさというのは、その内容にあるのではなく形式にある。
評論家の平野謙が藤村の「新生」を評論したものに、安吾はこう咬みつく。

『「新生」の中で主人公が自分の手をためつすかしつ眺めて、この手だな、とか思い入れよろしくわが身の罪の深さを思うところが人生の深処にふれているとか、鬼気せまるものがあるとか、平野君、フザけたもうな。人生の深処がそんなアンドンの灯の翳みたいなボヤけたところにころがっていて、たまるものか。そんなところは藤村の人を甘く見たゴマ化し技法で、一番よくないところだ。』

これは平野謙が悪い。藤村の小説の内容を誉めてしまったのではきつい。
安吾はさらにこのように藤村批判を展開する。

『島崎藤村は誠実な作家だというけれども、実際は大いに不誠実な作家で、それは藤村自身と彼の文章(小説)との距離というものを見れば分る。藤村と小説とは距りがあって、彼の分りにくい文章というものはこの距離をごまかすための小手先の悪戦苦闘で魂の悪戦苦闘というものではない。
藤村とその文章との距離というものが、藤村の三人称客観小説世界を形成しているわけで、藤村独自の距離感を「小手先の悪戦苦闘」とまで言ってしまったのでは、これちょっと言いすぎなのではないかというのはある。』

安吾の言いたいこともわかる。安吾は大文字の「文学」とは形式ではなく内実だと言いたいのだろう。
安吾はさらにかぶせてくる。

『彼がどうして姪という肉親の小娘と情慾を結ぶに至るかというと、彼みたいに心にもない取澄し方をしていると、知らない女の人を口説く手掛りがつかめなくなる。彼が取澄せば女の方はよけい取澄して応じるものであるから、彼は自分のポーズを突きぬけて失敗するかも知れぬ口説にのりだすだけの勇気がないのだ。肉親の女にはその障壁がないので、藤村はポーズを崩す怖れなしにかなり自由に又自然にポーズから情慾へ移行することが出来易かったのだと思う。』

これには参った。形式とか言っているから、藤村お前は女にもてないんだと言っているわけだ。滅茶苦茶なんだけれど、オタクよりもヤンキーのほうが女の子にもてたというかつての時代状況を考えれば、安吾の言うことは一理ある。
安吾の剛腕、炸裂だ。

【日本文化私観】

この「日本文化私観」は
一 「日本的」ということ
二 俗悪について(人間は人間を)
三 家について
四 美について
という構成になっていて、それぞれに安吾らしい文章がつづられている。

「家について」の中にこのようにある。

「僕はもうこの十年来、たいがい一人で住んでいる。何もない旅先から帰ってきたりする。すると、必ず、悔いがある。叱る母もいないし、怒る女房も子供もいない。それでいて、家へ帰る、という時には、いつも変な悲しさと、後ろめたさから逃げることができない。帰るということの中には、必ず、振り返る魔物がいる。そうして、文学は、こういうところから生まれてくるのだ、と僕は思っている」

本当にこういう感覚ってある。私は結婚するまで何年か一人暮らしをしていたけれど、夜中、ドアを開けてから、誰もいない真っ暗な部屋に入り電灯のひもを引っ張るまでは、何だか薄らさみしいような気持になった。

エリア88という漫画で、一人暮らしの部屋に帰った時に真っ暗なのが嫌だから、部屋を出るときはいつも電気をつけっぱなしにするというヤツがいた。そいつが乗る戦闘機がもうダメだというときに、彼は親友に無線でこのように言う。

「オレの部屋の電気は消しておいてくれ」

分かるわー、と思って。
誰もいない部屋に帰った時のあの感覚って何だろう。気圧が外より低いような、地面がちょっとゆるいような、そんな場所に迷い込んだような。
それを安吾は、

「帰るということの中には、必ず、振り返る魔物がいる」

とか、さらには、

「文学は、こういうところから生まれてくるのだ」

とか、本当にうまいことをいうと思って。

【死と影】

坂口安吾が「ふるさと」という言葉を語りだすのは、昭和17年発表の「文学のふるさと」あたりからです。しかし昭和23年発表の「死と影」で、坂口安吾は昭和12年ぐらいの時の自伝的なものを書いていています。

その中で三平という、まあほとんどホームレスみたいな人間と坂口安吾は友達になります。
三平は言う。

「センセイ、いっしょに旅に出ようよ。村々の木賃宿に泊まるんだ。物をもつという根性がオレは嫌いなんだ。旅に出るとオレの言うことがわかるよ。センセイはまだとらわれているんだ。オレみたいな才能のないやつが何を分かったってダメなんだ。センセイに分かってもらって、そしてそれを書いてもらいたいんだ。旅にでれば必ず分かる、人間のふるさとがね。オヤジもオフクロもウソなんだ。そんなケチなもんじゃないんだ。人間にはふるさとがあるんだ。そしてセンセイもそれがきっと見える」  

三平って実在したのでしょうか。

【不連続殺人事件】

坂口安吾には長島萃(あつむ)という友人がいた。長島は何度か自殺未遂を繰り返し、昭和8年に脳炎にかかりそのまま発狂して死亡した。
坂口安吾は昭和9年発表の「長島の死」でこう書いてある。

『私は彼のように「追いつめられた」男を想像によってさえ知ることができないように思う。その意味では、あの男の存在はわたしの想像力を超越した真に稀な現実であった。もっとも何事にそうまで「追いつめられた」かというと、そういう私にもハッキリとは分からないが恐らくあの男のかんする限りの全ての内部的な外部的な諸関係において、その全部に「追いつめられて」いたのだろうと思う』

全てに追いつめられる男とはなんなのだろうか。おそらく現代の精神医学では何らかの病名はつくだろう。ただ病名がついたからといって追いつめられる要素が一つ増えるだけの話で、全てに追いつめられていることには変わりがないだろう。

長島は何に追いつめられたのか?ということを純文学で読みたかったが、坂口安吾は「全てに追いつめられる男」を推理小説で表現した。それがこの「不連続殺人事件」だと思う。

ここからはネタバレ注意です。長島萃から見た不連続殺人事件のあらすじを書きます。

金持ちのボンボンである文学青年一馬(長島萃)は、ピカ一という画家からその美しい妻であるあやかさんを奪い取る。しかしそもそもこれが罠。ピカ一とあやかはぐるになって、一馬の妹2人と父親と一馬本人をこの順番で殺し、一馬の遺産を根こそぎ貰おうという作戦。
戦後すぐの夏、一馬の田舎の屋敷で一馬の文学仲間が避暑に集まることになった。どさくさにまぎれて、あやかはピカ一を含め何人か関係のない人間にも招待状を出した。
最初に殺されたのは望月という文学者である。望月が殺された時、あやかは一馬と一緒にいた。夫婦だからあやかのアリバイにはならないが、これで数馬は妻のあやかは犯人ではないと確信した。望月はピカ一に殺されたのだが、これは一馬にあやかだけは犯人ではないと思わせるためだけの殺人であった。この後、一馬の妹2人と父親がピカ一とあやかに交互に殺される。もちろんピカ一とあやかは誰の前でも犬猿の仲を装っている。二人がつながっていることは誰にも分からない。
最後の仕上げだ。あやかは一馬に二人の寝室で毒入りの水を飲ませる。一馬はその水を飲んだ。あやかだけは犯人ではないと確信していた。自分を確信させるために、愛する妻のあやかが人一人殺したとは想像できかった。一馬は死んで、あやかは一馬の死を自殺だと証言した。
しかしここで名探偵登場というわけです。

不連続殺人事件の中で、一馬は策略によって全てのものに追いつめられて最後に殺される。何故、一馬すなわち長島が死ななくてはならなかったのかということは、現実よりも一次元下がった推理小説だから私たちにも理解できた。しかし現実の世界の死というのは本当のところ、理解できないところが残る。
私は中学2年の時にクラスメートが、24歳の時に同年代のいとこが自殺したが、彼彼女が何故自殺したのかは最後のところで分からない。ただ私としては生き残ったもののひけめのようなものがあるだけだ。

【堕落論】

『昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角せっかくの名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。』赤穂浪士の物語は、日本的なこだわりにあふれている、ということでしょう。この後、日本的こだわりの例がいくつかあげられます。

童貞処女のまま愛の一生を終らせようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが世人の同情は大きかった話。

戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で、この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた話。
武士は仇討のために草の根を分け乞食となっても足跡を追いまくらねばならないという話。学生と娘は心中したくはなかったし、戦争未亡人は操をたいして守りたくもなかったし、武士はかたき討ちなど本当はやりたくなかったのだけれど、日本的こだわりの同調圧力で、やらなくてはいけないかのような気になってしまったということでしょう。そして個々の日本的こだわりが一つになり、巨大なうねりになったものが日本の歴史であると安吾は言います。安吾は以下のような表現をしています。
『歴史は個をつなぎ合せたものでなく、個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿に於て政治も亦また巨大な独創を行っているのである』

そしてあの戦争とは何だったのか?

安吾はこのように言います。

『この戦争をやった者は誰であるか、東条であり軍部であるか。そうでもあるが、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。』さすがの論考ですね。あの巨大な戦争の時に、日本人は細かい見栄やこだわりに関わりあう暇がなくなってしまって、大きな運命に身を任せるような状態になってしまったといいます。それを安吾は美しい理想郷のようだったと言っています。

『近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締なしで眠っていたのだ。戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。そしてもし我々が考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして壮観な見世物はないだろう。』しかし戦争は終わり、日本人は元の日本人的こだわりの場所へ戻るのでしょうか。戦争という巨大な世界を見た後では、なかなか元のこだわりの世界に戻るのは難しいというか、バカバカしいみたいなことはあるでしょう。そもそも日本の場合、変な非合理性にこだわって大惨敗を喫したというのもありますから。日本人はこだわりの世界のもっと底から、恰好をつけるような場所ではなく、好きな女には好きというような場所から自分たちの生活を積み上げていかなくてはならない、と安吾は言うわけです。もっともです。じっさいはこのようにあります。

『戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。』恰好をつけて生きるような、そんなくだらない高みからは堕ちろと。そのような高みがくだらないということは、まさに戦争が教えてくれただろう、というわけです。
現代という平和な時代に長く生きていると、恰好をつけて生きるのが有利な場合が多いですから、なかなか堕ちるというわけにもいかないのですが、一応「堕落論」的世界を知っておくのも悪くないと思います。

【続堕落論】

最初は新潟の石油成金の話。

『中野貫一という成金の一人が産をなして後も大いに倹約であり、安い車を拾うという話を校長先生の訓辞に於て幾度となくきかされたものであった。百万長者が五十銭の車代を三十銭にねぎることが美徳なりや。』金持ちが小銭を節約するのが美徳とされるような気取った社会なんてウンザリだっただろう、というわけです。次は農村文化の話。

『戦争中は農村文化へかえれ、農村の魂へかえれ、ということが絶叫しつづけられていた。一口に農村文化というけれども、そもそも農村に文化があるか。文化の本質は進歩ということで、農村には進歩に関する毛一筋の影だにない。』気取った都会人が農村にあこがれて農業を始めてみても、現実は厳しいというのは今でも同じです。

次は、額に汗することが大切だというこだわりについての反論。『必要をもとめる精神を、日本ではナマクラの精神などと云い、五階六階はエレベータアなどとはナマクラ千万の根性だという。すべてがあべこべなのだ。真理は偽らぬものである。即ち真理によって復讐せられ、今日亡国の悲運をまねいたではないか。』そんな非合理なことだから戦争に負けたんだ、と言われたら何も言い返せません。そして、天皇制とは、日本がこだわりや気取りで首が回らなくなった時のための安全弁みたいなものであるという話。
『たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕ちんの命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。そのくせ、それが言えないのだ。』気取った左翼が天皇制は必要ないなんて言うことがありますが、彼らのような人にこそ天皇制は必要なのでしょう。




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坂口安吾、昭和22年の評論。

安吾には長島萃(ながしま あつむ)という友人がいた。戦前の衆議院議員、長島隆二の子息であった。彼は若くして脳炎で死んだのだけれども、この長島萃をめぐる安吾の文章には一種異様な迫力がある。
こんな感じ、

「彼の死床へ見舞つたとき、そこは精神病院の一室であつたが、彼は家族に退席させ、私だけを枕頭によんで、私に死んでくれ、と言つた。私が生きてゐては死にきれない、と言ふのだ。お前は自殺はできないだらう。俺が死ぬと、必ず、よぶから。必ず、よぶ。彼の狂つた眼に殺気がこもつてギラギラした。すさまじい気魄であつた。彼の精神は噴火してゐた。灼熱の熔岩が私にせまつてくるのではないかと思はれたほどである。どうだ。怖しくなつたらう。お前は怖しいのだ、と彼は必死の叫びをつゞけた。 
彼はなぜ、そこまで言つてしまつたのだらう? そこまで、言ふべきではなかつた」

最後の言葉は語るべきではない、というのはあると思う。
現代のような世界に暮らしていると、どうやら自分の言葉の意味が相手に届いてないらしいということがあり得る。だからと言って最後の言葉を絶叫していいというものでもない。

よく新聞とかで、駅なんかで女性のスカートの中を盗撮して捕まったヤツの動機の告白で、
「スカートの中が見たかったから」
のようなことが書かれていたりするけれど、これって本当に最後の言葉だよなって思う。女の子のスカートの中を見たければ、いくらでも合法的な手段があるだろう。様々な可能性を排除して、ただ原因と結果のみの言葉、
「スカートの中が見たかったから」

怖ろしい。最後の言葉を要求する世界が怖ろしい。

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中で、ドミートリーの裁判の中で彼の恋人であるカテリーナがこのように告白する場面がある。

「あたしと結婚する気になったのだって、あたくしが遺産を相続したからに過ぎません。そうじゃないかとかねがね思っていました。ああ、このひとはけだものです。あたくしがあのとき訪ねていったことを恥じて、一生この人にびくびくし続けるだろう、だから自分はそのことで永久にあたくしを軽蔑し、優越感を抱いていられると、いつも思っていたのです」

カテリーナもドミートリーを愛していると感じた瞬間だってあっただろうし、もちろん憎んだ瞬間もあっただろう。カテリーナの存在というのはゆれていたのだけれども、「断言」することによって存在が固定されてしまう。

断言を要求する世界って怖ろしいと思う。そういう場所に追い込まれないよう注意しなくてはいけない。

関連記事









坂口安吾は芥川龍之介の甥である葛巻という人物と親しくしていて、芥川の晩年の手記を見ることができた。

坂口安吾の昭和16年の評論、「文学のふるさと」こうある。


私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いし

ながら、ただ
しかし、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。

すなわち安吾のいう「ふるさと」というのは、
「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川」
みたいなノスタルジックな思い出の場所のようなものではない。

芥川の遺稿の手記に、

農民作家なる人が芥川の家を訪ねてきて、生まれた子供を殺して一斗缶に詰めて埋めたという話をする、

というものがある。

農民作家に、
「あんた、これをひどいと思うかね。口減らしのために殺すというのを、あんたひどいとおもうかね」
と言われて芥川は言葉に詰まったという。


さて、農民作家はこの動かしがたい「事実」を残して、芥川の書斎から立去った

のですが、
この客が立去ると、彼は突然突き放されたような気がしました。たった一人、置き残されてしまったような気がしたのです。

この突き放すところのものを、安吾は「ふるさと」と言っている。

自分なりにいろいろ考えてみる。

「インターステラ」という映画がある。主人公たちは滅びゆく地球の代わりを探そうと別宇宙の惑星を巡るのだけれど、まー、ろくでもない惑星ばかりなんだよね。しかし他惑星の住環境が酷いのは惑星の責任ではなく人類の都合であって、これは全くどうしようもない。同情も正義も文学もない宇宙で主人公たちは悪戦苦闘する。別の宇宙空間で自分たちは世界から突き放されるのではないかという予感が満ちる中、実際何度かドーンって突き放される繰り返し。

結局「インターステラ」の面白さというのは、人類が宇宙(世界)に突き放されるところの「突き放され具合」にあると思う。
この突き放すところのものが、安吾のいう「ふるさと」ということになるのではないか。

中国思想にも同じ「ふるさと」観がある。荘子の中に、


会えば離れ、成すれば壊れ、角は砕け、貴は辱められ、愚は堕ちる。知を積み重ねても、それは悲しい。弟子よ、これを記せ。ただ道徳の郷があるだけだと

とある。


なぜ安吾がこのような「ふるさと」思想に至ったのかというと、太平洋戦争切迫の結果だと思う。あの戦争は日本にとって中国とアメリカとの両面戦争だった。正直、中国とアメリカ相手に両方同時に戦争するなんてあり得ないでしょう。ナチスドイツだってフランスを制圧して、返す刀でソ連に侵攻した。日本なんかよりはるかに合理的だった。日本は世界に突き放されて、その結果として見えたものが「ふるさと」なのではないか。残酷な「ふるさと」なんて見ずに死ねればそれに越したことはないのだろうが、見てしまったものはしょうがない。

安吾の後の「堕落論」などは「ふるさと」思想の延長戦上にある。生きよ堕ちよ、だから。


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