イギリスの産業革命に必然性はない、となると、べつに西洋資本主義でなくてもかまわないわけです。論語資本主義でも、仏教資本主義でも、もちろん陽明学資本主義でもいいわけです。

陽明学とはなんなのか。王陽明の伝習録を読んでみました。

陽明学は儒教の一種です。儒教というのは、真理の追求というのが目的ではなく、万人における人格の完成というのが目的なのです。もちろん陽明学も。ですから、王陽明も弟子によって語る論理が変わってくるのです。陽明学とは何か、ということを知りたければ、王陽明が弟子達に語った語録から、そのエッセンスのようなものを忖度しなくてはならないのです。

西洋哲学になれたものからすると、メンドクサイですね。

陽明学は、まず人間の本質を「善」であると確信します。しかし多くの人がその「善」を発揮させる事ができない。それはなぜかというと、日常生活を送っているうちに、あれが善であるとかこれが悪であるとか刷り込まれてしまい、人間固有の真実善が覆い隠されてしまうからなのです。その真実善を発現させるためには、小市民的なモラルを振り払う必要があるのです。

謙虚な気持ちなる事によって振り払えるモラルもあるでしょう。日々緊張感を持つことによって振り払えるモラルもあるでしょう。いろいろな訓練をすることによって、小市民的なモラルの霧が晴れてきたならば、それはチャンスです。直感という人間に与えられた武器によって、「真実善」を手に入れるのです。

小市民的なモラルを振り払おうとするあなたは、周りの人間から胡散臭い目で見られます。
あたりまえですよね。
しかし、狂者にこそ、小市民のモラルではなく自分自身のモラルを掴むチャンスがあるわけです。


日本史において、この陽明学を体現した人物がいます。

その人物の事を語るのは次の機会に。