magaminの雑記ブログ

2019年01月

「カラマーゾフの兄弟」あらすじ 大審問官からネタバレ犯人と結末までを、各章に至るまで詳細に語ります。

目次


【登場人物紹介】
【第1.2編 場違いな会合】
【第3篇 好色な男たち】
【第4編 病的な興奮】
【第5編 大審問官】
【第6編 ロシアの修道僧】
【第8篇 ミーチャ】
【第9編 予審】
【第10篇 少年たち】
【第11篇 兄イワン】
【最終第12編 誤審】
【エピローグ】


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【登場人物紹介】


カラマーゾフ3兄弟

長男 ドミートリー
性格 破天荒

次男 イワン
性格 インテリ

三男 アリョーシャ(主人公)
性格 いいやつ 

ドミートリーには二人の彼女がいて

カチェリーナ・イワーノヴナ(お嬢様)

グルーシェンカ      (水商売系)

カラマーゾフ3兄弟の父親
フョードル

カラマーゾフ家の下僕の息子、実はカラマーゾフ3兄弟の腹違いの弟

スメルジャコフ

主要登場人物はこれぐらいです。


【第1.2編 場違いな会合】

文字数過多による不表示のためこちらをご覧ください



【第3篇 好色な男たち】

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【第5編 大審問官】


まず大審問官とはなにか? 簡単に説明します。

「大審問官」はカラマーゾフの兄弟、次男と三男、イワンとアリョーシャの会話から始まる。
神の創った世界を認めるかどうかというこということについての話。
イワンは認めないと言うんだよね。なぜなら多くの子供達が虐げられているから。神が与えたもうたこの世界の秩序に犠牲が必要だというのなら、少なくとも無垢な子供達はこの犠牲から排除されていなくてはいけない。にもかかわらず現状はどうだろうか。最近の新聞にこのような話があるとイワンは言う。
「真冬の寒い日に5つの女の子を一晩中便所に閉じ込めたんだよ。それも女の子が夜中にうんちを知らせなかったという理由でね。それも実の母親がだよ。真っ暗な寒い便所の中で、悲しみに張り裂けそうな胸をちっぽな拳で叩き、血をしぼるような涙を恨みもなしにおとなしく流しながら、神様に守ってくださいと泣いて頼んでいるというのに。いったい何のためにこんなバカな話が必要なのか」
この意見に対してアリョーシャは
「キリストの犠牲によってすべては許される」
と答える。
この答えに対して、イワンは自分の創った「大審問官」という叙事詩を語る。

「大審問官」
場面は15世紀スペインのセヴィリア、異端審問の最も激しい時代。そこにキリストが降り立つ。人々はそれがキリストだとわかってキリストの周りに集まりだす。厳しい異端審問によって秩序を維持するセヴィリアにとって、これは秩序の危機だ。枢機卿である大審問官はキリストを捕らえて牢獄に閉じ込める。そして大審問官は夜中、キリストをを訪れて、自らの告白をする。
この大審問官の告白の何を重要視するかで、「大審問官」の意味というのは変わってくるとは思うのだけれど、私が重要だと思うところのその告白を要約する。

人間はキリストによって自由を与えられた。しかし人間は何が善で何が悪であるかという選択の自由の重みに耐えられない。キリストの自由では秩序が保てない。ここセヴィリアではキリストの代わりに我々が市民のために善悪を判断してやっている。三つの力によって、すなわち奇跡と神秘と権威。だから愛などという雲をつかむようなお前の言説はここセヴィリアでは必要ない。

これで終わりなのだけれど、この部分にどのような意味を見いだすか、ということが問われるわけだ。  この話の根幹というのは、社会の秩序というものには根拠みたいなものがあるのかどうか、ということになる。アリョーシャはあるという。イワンはないという。 社会秩序に根拠がないのなら、大審問官のように強権的に社会を秩序付けなくてはならないということになる。  ここからはちょっと飛躍するのだけれど、私は、大審問官の章というのは、この「カラマーゾフの兄弟」という作品の中の大きなテーマとシンクロしていると思う。その大きなテーマというのは、人間個人が自分が自分であるということ、すなわち自分の自己同一性に根拠があるのか、ということ。イワンが、社会秩序に根拠はない、と言った時点で、イワンの人格を形成しているところの整合性に根拠がない、ということを宣言していることになる。 その結果イワンはどうなったかというと、頭の中で悪魔と対話するようになった。もうこれは統合失調症だろう。 ドストエフスキーは、社会の秩序についての観念と個人の自己同一性とを、イワンの中でシンクロさせている。 社会であれ個人であれ、秩序、すなわち一体性の形成というのは、外部からは与えられないということになる。 

イワンにたいしてアリョーシャは、一体性の根拠は存在すると考えている。 その根拠というのは、この大審問官の章ではキリストということになっているけれども、エピローグでは、アリョーシャは子供達の前でこのように演説する。

「子供のころのなにかすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。たった一つのすばらしい思い出しか心に残らなかったにしても、それがいつか僕たちの救いに役立ちうるのです。もしかすると、まさにそのひとつの思い出が大きな悪から彼をひきとめてくれ、彼は思い直して、
そうだ、僕はあのころ、善良で、大胆で、正直だった
と言うかもしれません。内心ひそかに苦笑するとしてもそれはかまわない。みなさん、保証してもいいけれど、その人は苦笑したとたん、すぐ心の中でこう言うはずです。
いや、苦笑なぞして、いけないことをした。なぜって、こういうものを笑ってはいけないからだと」

アリョーシャは一体性の根拠を語っている。 しかしこの言説を注意深く読むと、世界というものが個人に少なくても一つ、すばらしい想い出を与えるという前提になっている。持ち上げられた世界にこそ一体性の根拠というものはある。  世界が持ち上げられているかどうかというのは、時代ごとに異なっていて、人間に無条件に与えられているわけではない。 イワン的世界観もありえるし、アリョーシャ的世界観もありえる。 

私は、アリョーシャ的世界観を信じるけれども。 

この「大審問官」というのは、イワン的世界観を視点をちょっとずらす感じで表現しているものだと思う。


【第6編 ロシアの修道僧】

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【第8篇 ミーチャ】

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【第9編 予審】


カラマーゾフ3兄弟の父親であるフョードルが、何者かに殺されてしまった。

長男ドミートリーが父親殺しの罪で警察に捕まる。彼が殺したという確証はないのだけれど、持っているはずのない大金を持っていたりと、いかにも怪しい。

警察がドミートリーを発見した時、彼は彼女とドンちゃん騒ぎをしていたのだけれど、そのまま拘束されて尋問。そこでは警察当局との思想の対決みたいなことになる。

たんたんとした尋問において、ドミートリーは、

「私の私生活に干渉するのは許しませんよ。あなたの質問は事件に関係ないし、事件に関係ないことはすべて、僕の私生活ですからね」

更にドミートリー、

「あなた方もずいぶん暇なんですね」

近代の尋問というのは、何が証拠になるか分からないということで細かいところまでいろいろ聞かれるというのは、現代日本人でも共通のイメージだと思う。
細かい質問にドミートリーはイライラするのだが、これは勘違いしているから。ドミートリーは魂の対話というのを予定しているのだが、警察当局は、調査管理というのを予定している。このアンバランスをこの9編では明確に描き出される。

魂の対話と調査管理の相克。

卑近な例えを出してみよう。

私の職場で中島さんという70歳のおじいさんは、昼休み毎日はいている靴の裏にガムテープを貼っている。

「中島さん、毎日ビリビリガムテープを貼るんなら、新しく靴を買ったほうが早いんじゃないの?」
「そう思うんだけど、なんだかこの靴に愛着がわいちゃって」
「えっ? このワークマンで1980円で買った靴に愛着?」
「うん、なんとなくね。今月いっぱいは粘ろうと思うんだ」

靴の裏にガムテープを貼って靴の寿命を延ばすことが、靴に対する愛着の表現だとは考えもつかなかった。中島さんと靴との魂の対話というのがあったと思う。私は調査管理の論理を中島さんにぶつけてみた。中島さんは愛着という表現でそれを拒否する。
ただ私だから中島さんも拒否できた。しかしこれがもっと巨大な知の体現者から強制されたとするなら、中島さんは自分の愛着に執着し続けることが出来ただろうか。中島さんと靴との魂の対話はどこまで深くなれるものなのだろうか。

結局、ドミートリーの最後の言葉が警察当局に回収されてされてしまったら、話はそれで終わってしまう。最後の言葉を自分のために取っておく、そんな矜持あるいは狂気をもつものこそ立体的な人間だと思う。狂気をはらむ人間こそ生々しい存在で、ギリギリまで近づいてみたいという、心の底を覗き込んでみたいという、そう思わせるものがあるのではないか。

近代と人間との相克。人間と人間との相克。

「蛇が蛇の頭を食べようとしている」

ドミートリーはこのように言うけど、本当にそう。何が正しいとかというのではなく、その相克が美しいという。


【第10篇 少年たち】


アリョーシャはコーチャという14歳の少年と知り合いになる。コーチャという少年は中二病なんだよね。既成の権威を否定するために、より大きな権威をよそから(特に外国)から借りてくるということ。

コーチャの行為自体は間違ってはいないと思う。

そもそも近代以降における既成の権威というものは怪しげなのが多すぎる。近代において科学というのは権威である。数学と理論物理は第一級の科学であると私も認める。ただほかのものはどうだろうか。

例えば生物学とか医学とか、こいつらは科学としては二流だ。
生物学においては、生物の進化というのがなぜ起こるのか全く解明されていない。生物学ではいまだに150年前のダーウィンの進化論がメインフレームだ。ありえないでしょ。150年前の学説を超える論理がいまだに出てこないなんて。
医学においては、人間の意識というものが全く解明されていない。意識の座が脳のどこの部分にあるのかとかは分かっているのだけれど、意識そのものとは何であるのか、ということが分かっていない。人間存在の中核である意識の存在体制を理解できない現代医学なんていうものは、こういう言葉を使うと申し訳ないけれども、片手落ちでしょう。

生物学や医学でさえこのありさま。さらに経済学とか精神分析学とかは科学としては推して知るべし、三流。こいつらは、正直オカルトの部分もかなりあると思う。このように科学の中にもランクがあるにもかかわらず、それぞれの科学が、われこそは数学並みに一流であるという顔をする。

ここがコーチャのような力あふれる少年には気に入らない。だからより大きな権威を借りてきて既存の権威、この小説の中では教育学とか医学とかということになるのだけれど、を否定しようとする。

コーチャの考えは間違っていない。そもそも医学とか精神分析学なんていう二流以下の学問が、数学並みの一流の科学でございという、そのずうずうしさが間違っている。フーコーだね。

しかし何故二流以下の学問の知が、この社会において異常な力を持つのか。

この世界では何らかの知のヒエラルキーに参加していないと馬鹿だと判断されてしまうからだと思う。コーリャも既成の知の権威を否定するために、よそから別の知の権威を借りてくる。既成の知の権威を拒否するだけだと、馬鹿だと判断されてしまう、それがコーリャには耐えられない。

このコーリャにたいしてアリョーシャはこのように言う。
渾身のアリョーシャの言葉を堪能してほしい。

「この節では才能をそなえたほとんどすべての人が、こっけいな存在になることをひどく恐れて、そのために不幸でいるんです。ほとんど狂気のさたですね。悪魔がそうした自負心の形を借りて、あらゆる世代に入りこんだんです。自己批判の必要さえ見いださぬようになってしまったんです。君だけはそうじゃない人間になってください」

悪魔が自負心の形を借りてだって。
悪魔がだよ、自負心の形を借りるんだよ。

誰もが心当たりがあると思う。

アリョーシャは、そのような悪魔を拒否するというのではなく、悪魔を寄せ付けないのがすごい。さすが主人公。


【第11篇 兄イワン】


長男ドミートリーが父親のフョードルを殺したという容疑で逮捕される。

このフョードルを殺したのは誰なのか。「カラマーゾフの兄弟」では殺人が起こって、犯人が誰なのかという謎があるわけで、この小説は推理小説としても読めるという意見もある。

そもそも推理小説とはなんなのだろうか。

推理小説の形式というのは極めて近代的なものだと思う。推理小説の形式とは何かを説明するために、一つ例を出しましょう。

「古畑任三郎」という推理テレビドラマがある。
古畑任三郎は刑事で、犯人をいろいろ推理するというドラマなんだけど、この犯人というのが将棋の棋士だったり、有名な女優だったり、医者だったりする。犯人は自分の社会的名声を守るために殺人を犯す。
さらに言うなら、犯人は自らが所属する知の体系を維持するためには殺人もしょうがないと思っている。この世界には様々な知の体系があって、それぞれがお互いに切磋琢磨している。頭がいいと思われたい人間は、結局どこかの知の体系に所属しなくてはいけない。それぞれの人間がそれぞれの知の体系に所属して、それぞれの論理を持つ。自分そして自分の所属する知の体系を否定しようとするものは、簡単に排除されてしまう。

しかしこの世界にはより大きな秩序があって、個別の知の体系といえども、全くばらばらに存在することは許されない。殺人などという一線を越えた体系維持運動は認められない。古畑任三郎という探偵は、はみ出た知の体系のオルガナイザーを摘発し、知を回収して回る国家体系の番人なんだよね。

「カラマーゾフの兄弟」でおこる殺人と解決は、この探偵小説の形式とは全く異なる。アリョーシャはいきなり次兄イワンに

「あなたは犯人ではない」


という。当たり前だ、そもそも長男ドミートリーが容疑者として逮捕されているんだから。しかし話の結末というのは、イワンが父親が死んで欲しいと密かに願っていたので、スメルジャコフというヤツがイワンの代わりにフョードルを殺したというものだった。スメルジャコフにしてみれば、イワンは殺人の共犯だが、アリョーシャにしてみれば、「イワンは犯人ではない」ということになる。それぞれにそれぞれの真実がある。アリョーシャは知の体系をより上位の体系に回収しようなんて思っていない。ただただ真実を喝破するだけ。

そこには推理小説特有のカタルシスはなく、巨大な愛があるだけだ。


【最終第12章 誤審】


ドミートリーは父親殺しの容疑で刑事裁判となる。

近代においての裁判とは国家の枠組みが強烈に照射する場所である。国が人間のプライベートを回収する。
バフーチン的に言えば「最後の言葉」を回収する、それが近代であり、さらに言えば近代裁判だ。


ドミートリーの婚約者であるカテリーナは、裁判の中でこのように告白する。

「あたしと結婚するきになったのだって、あたくしが遺産を相続したからに過ぎません。そうじゃないかとかねがね思っていました。ああ、このひとはけだものです。あたくしがあのとき訪ねていったことを恥じて、一生この人にびくびくしつづけるだろう、だから自分はその子とで永久にあたくしを軽蔑し、優越感をいだいていられると、いつもおもっていたのです。.............  」

カテリーナの最後の言葉は国家に回収された。カテリーナも、ドミートリーを愛していると感じた瞬間だってあっただろうし、もちろん憎んだ瞬間もあっただろう。カテリーナの存在というのはゆれていたのだけれども、「断言」することによって存在が固定されてしまう。
存在が固定されていない人たちを統治するより、存在を固定されている人たちを統治する方がコストが安い。このコストパフォーマンスの優位から、近代国家がたち現れてきたのだと思う。
私たちは日々「断言」してまわなっていないだろうか。注意深く観察して欲しい。不用意な断言が世界には溢れていないだろうか。

ドミートリーの最後に検事の論告と弁護人の最終弁論がある。これが圧巻。近代がいかに人間を固定化するかということが圧倒的な筆力で表現されている。
弁護人はスメルジャコフという人間をこのように表現する。

「彼は自分の出生を憎み、それを恥じて歯ぎしりしながら思い起こしていました。幼いころの恩人だった召使のグリゴーリー夫妻に対して、彼は敬意を払っていませんでした。ロシアを呪い、ばかにしていたのです。彼はフランスに行きフランス人に帰化することを夢見ていました。彼が自分以外のだれも愛さず、不思議なほど高く自分を評価していたように思います」

この断言ぶり。たしかにスメルジャコフは誰もが友達になりたいようなヤツではない。
でも、フランス語の単語を覚える努力をしていた。
実際にフョードルを殺し、その罪をドミートリーになすりつけた。しかし365日ロシアを呪い続けたわけでもないだろう。隣の家の娘とのロマンスだってあった。スメルジャコフの作る料理は一級品だった。スメルジャコフだって、その存在はゆれていた。しかしこの断言ぶり。


「カラマーゾフの兄弟」を読み終わって思うのは、このドストエフスキーという作家のパワーだ。最後の言葉を回収しようとする近代を悪だと設定するわけでもなく、最後の言葉を守ろうとする人が無条件に善だというわけでもない。ただ近代と人間とのギリギリの相克を、底に飛び散る火花や涙を圧倒的な筆力で活写するという。

この世界に最後の言葉を回収されるのを拒否すること。
この世界と向き合って生きるということ。

カラマーゾフはこのギリギリの二律背反の中を生きる。

「カラマーゾフ万歳」


【エピローグ】


ドミートリーの父親殺し裁判のクライマックス、陪審員に対して検事はこのように言う。

「ロシアの宿命的なトロイカは、ことによると破滅に向かってまっしぐらに突き進んでいるのかもしれません。他の諸国民が今のところまだ、がむしゃらにつっぱしるこのトロイカに道を譲っているとしても、敬意からでなどなく、単に恐怖からに過ぎないでしょう」

突っ走るトロイカとは急激に西欧化しようとするロシア。混乱の中で明らかな父親殺しを無罪にするような行き過ぎた文明化は逆に西欧からの反発を招くだろうということだろう。

これに対して弁護人は最終弁論の最後にこのように言う。

「われわれのところに、破滅した人間の救済と更正を、あらしめようではありませんか。もしロシアの裁判がそういうものであるならば、ロシアは前進するでしょう。狂気のトロイカではなく、偉大なロシアの戦車が厳かに悠然と目的に向かって進むのです」

検事と弁護人が語る物語というのは、物事の裏と表だろう。
陪審員の皆さん、私達は世界をこのように確定しました。さあ、どちらが正しいか判断してください、というわけだ。
知の権威というものは、世界を確定しようとする。人民の世界認識を確定した方が、国家として人民を統治しやすい。近代というものは、この世界は合理的だという、非合理な信念の上に成立している。


しかし、人間の認識世界というものは確定しているものなのだろうか。好きな女が次の瞬間憎くなるなんていうことはないだろうか。本当のところ、世界は揺れているのではないだろうか。

エピローグでアリョーシャは子供達の前でこのように演説する。

「子供のころのなにかすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。たった一つのすばらしい思い出しか心に残らなかったにしても、それがいつか僕たちの救いに役立ちうるのです。もしかすると、まさにそのひとつの思い出が大きな悪から彼をひきとめてくれ、彼は思い直して、
そうだ、僕はあのころ、善良で、大胆で、正直だった
と言うかもしれません。内心ひそかに苦笑するとしてもそれはかまわない。みなさん、保証してもいいけれど、その人は苦笑したとたん、すぐ心の中でこう言うはずです。
いや、苦笑なぞして、いけないことをした。なぜって、こういうものを笑ってはいけないからだと」

そう、子供のころ、世界は揺れていた。世界が確定したと思い込んで大人になったつもりなっても、そうではない時があった。大切なのは最後のところで世界は揺れているものだという記憶だろう。

カラマーゾフの兄弟という小説は、世界を確定しようとする近代の中で、最後の揺らぎを、最後の言葉を守ろうとするカラマーゾフの魂の遍歴の記述だって感じた。



◆◆カラマーゾフの兄弟 / ドストエフスキー/原作 岩下博美/まんが / 講談社
◆◆カラマーゾフの兄弟 / ドストエフスキー/原作 岩下博美/まんが / 講談社





【太平洋戦争の原因】


結論を先に言ってしまうと、当時の日本にとって対米戦争を回避するという選択が、政治的に不可能だったからというものです。

これは、現代日本において、社会保障を減額するという選択が、政治的に不可能なのと同じです。



閭梧勹, 螢∫エ�, 鬆ュ闢矩ェィ, 縺ゥ縺上m, 謌ヲ莠�, 證励>, 諤悶>, 豁サ


試しに太平洋戦争に至る道をさかのぼってみましょう。

【昭和16年9月の御前会議】
【昭和12年8月 第二次上海事変】
【昭和12年7月 盧溝橋事件】
【昭和6年9月   満州事変】




【昭和16年9月の御前会議】

昭和16年8月のアメリカの対日石油全面禁止を受けて、第三次近衛内閣時に行われた御前会議。

アメリカの経済制裁解除が、対米戦争回避の条件として決定された。のちにアメリカは経済制裁解除の条件として、日本軍の中国大陸からの撤退をあげてきた。

当時、日本は中国大陸で何年も日中戦争を戦っていて、アメリカの恫喝によって中華民国と講和するというのは政治的に極めて難しかった。

ではそもそも、日中戦争とはなぜ起きたのだろうか? 


【第二次上海事変】


日中戦争の直接の原因というのは、昭和12年8月13日、中華民国軍が上海にあった日本租界に進駐し、それに対して日本軍が反撃した「第二次上海事変」にある。
はっきり言ってしまえば、中国軍の先制攻撃だ。

やられたらやり返すの精神で日本軍も反撃して、日中戦争という大戦争になってしまった。

先制攻撃した中国が悪いと言えなくもないのだけれど、それまでの日本による対中政策が極めて挑発的で、現代において日中戦争の原因論で日本の肩を持つような論調はほとんどない。

第二次上海事変に至る道として、中国の対日感情が極めて悪化した事件がある。


【盧溝橋事件】


昭和12年7月7日に北京近郊の盧溝橋で日中両軍の衝突事件が起きた。どちらが最初の一発を撃ったか、なんていう議論もされるのだが、大きい枠組みで考えれば、最初の一発とかはたいした問題でもないだろう。

中国軍の最高責任者であった蒋介石は、この事件によって対日戦争の腹を固めたとされている。

しかしそもそも、なぜ日本軍が首都北京の近郊に軍事展開していたのか?


【満州事変】


昭和6年9月18日、日本軍は現在の中国瀋陽市で自作自演の爆発事件を起こし、それに乗じて、現在の中国の遼寧省・吉林省・黒竜江省などを占領した。
日本はこれらの地域を、昭和7年、満州国として独立させた。

現代から見ると、日本はちょっと考えられない乱暴をしている。

そもそもなぜこのようなことを日本軍がおこしたのかというと、日本は満州に「満州鉄道」という権益を持っていた。
昭和に入り、中国でも国民運動が高まって、この満州権益が中国に回収されそうになっていた。

この満州権益というのは、日露戦争で手に入れたもので、日本はこれを政治的に手放すことができなかった。


【結論】


どこまで遡っても、太平洋戦争の根本的原因などというものは発見できないです。
太平洋戦争は、選択可能な政治判断を積み重ねた結果としか言いようがないですね。




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【食費を安くするための食材と料理方法】

1 パスタ編
2 朝食うどん編
3 夕食うどん編
4 お雑煮編
5 野菜編
6 豆腐編
7 鶏むね編


【食費を安く上げるにはどうするか 1  パスタ編】


食費を安く上げようと思うなら、まずコメからちょっと離れてみた方がいいです。ごはんがあるからおかずが欲しくなり、魚だの肉だのと考えてしまうわけです。

ではコメから離れてどうするかというと、

1パスタ
2うどん

まずパスタから考えてみましょう。

パスタは安いです。スーパーで普通に買っても、500グラム200円ぐらいです。
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まとめて買えばそれ以下です。

茹でた後、出来合いのソースをかけてもいいのですが、ツナ缶と炒めてツナスパとかでもおいしいですし、スパゲッティーは150グラムも食べれば、一食には十分です。それ以上食べれば太りますし。一食200円になります。

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パスタ料理で一番安上がりなのが、スープスパです。スープスパなんて名前はかっこいいのですが、コンソメスープにパスタを入れるだけです。
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固形コンソメが1個10円ぐらいですから、一食70円、これにクズ野菜を30円分ぐらい足して、100円で野菜スープスパの完成です。これを定期的に夕食にすれば、野菜はとれるし太らないしで最高です。



【食費を安く上げるにはどうするか 2  朝食うどん編】


食費を安く上げるための最強の和食パートナーと言えば「うどん」でしょう。

うどんといっても茹でるタイプの生うどんではなく、スーパーで3袋入って100円で売っているヤツってあるじゃないですか? あれってもう茹でてあるので、調理も楽ちんです。調理というレベルでもないです。

まず鍋に水を200㏄ほど入れて、だしの素を入れます。

ヤマキ だしの素 粉末 4g×54
ヤマキ だしの素 粉末 4g×54

これを推奨します。4gがちょうど一人前相当ですから。

だしの素を入れたら、しょうゆをちょっと入れて、100円うどんを一玉入れて、コンロでぐつぐつと沸騰させたら出来上がりです。素うどんではさみしいという場合は、卵でも落とせばいいのではないでしょうか。卵一個15円として、一食55円です。

朝食なら毎日これでいけます。だいたい朝から色々食べようなんて思わないですよね。朝なんて正直、うどんぐらいしか食べる気がしません。朝から焼き肉を食べられるなんていう人がたまにいますが、うらやましいほどのデブ魂の持ち主だとは思いますが、私には関係ないです。

3玉100円のうどんよりも、今は冷凍うどんのほうがおいしいのですが、冷凍うどんはちょっと高いです。

EXCHEF 北海道小麦100%!冷凍うどん 250g*5食
EXCHEF 北海道小麦100%!冷凍うどん 250g*5食

最低一玉50円はします。
あと、冷凍状態から沸騰させなくてはならないので、時間もガス代も割増しになりますし、推奨は出来ません。


【食費を安く上げるにはどうするか 3  夕食うどん編】

食費を安く上げるための夕食うどん編です。

夕食ともなるとちょっとはいいものがたべたくはなります。
ですから素うどんに何かちょっと入れてみようという。

ちなみに素うどんとは、

ヤマキ だしの素 粉末 4g×54
ヤマキ だしの素 粉末 4g×54

これ一袋をお湯に溶かしてうどんを入れただけのものです。

肉でも入れてみましょうか。

【アメリカ産牛バラ肉スライス 700g(350g×2)冷凍品 男しゃく 100g当/109.8円+税】【超お買い得商品を随時更新予定。【お助け商品】10P05Nov16
【アメリカ産牛バラ肉スライス 700g(350g×2)冷凍品 男しゃく 100g当/109.8円+税】【超お買い得商品を随時更新予定。【お助け商品】10P05Nov16


スーパーに行けばアメリカ産の牛バラ肉が100g98円で売られています。これを20gほど入れて、あとは例えばカットブナシメジ100円のやつを入れましょう。


【税込 バラ売り】長野県産他 バラバラぶなしめじ 250g 1袋(しめじ ぶなしめじ シメジ ブナシメジ)上越フルーツ
【税込 バラ売り】長野県産他 バラバラぶなしめじ 250g 1袋(しめじ ぶなしめじ シメジ ブナシメジ)上越フルーツ

水300㏄、だしの素4g、うどん1玉、牛バラ20g、カットブナシメジ1袋、を鍋でぐつぐつにると、

キノコ肉うどん の完成であります。

たいした見栄えの食事でもないでしょうが、どうせ一人で食べるのですから、腹八分目になれれば十分です。お腹いっぱい食べていては太ってしまうのでダメです。

キノコに飽きたと思えば、キノコの代わりに白菜を入れてもいいですし、もやしを入れてもいいですし、千変万化です。

高級食材を入れない限り、一食200円は超えません。


【食費を安く上げるにはどうするか 4 おぞうに編】


素うどんというのは素晴らしいコスパ食品であるということはこれまで書いてきましたが、素うどんの力はどこから来ているのかとちょっと考えてみるわけです。

うどんからでしょうか?

違うなと思います。だしの素からつくられる、あのツユにこそ人の味覚を飽きさせない力があるでしょう。

ということはですよ、めんつゆに入れるものは別にうどんでなくてもいいということになります。

めんつゆにうどんを入れればうどんですが、餅を入れればお雑煮ですし、豆腐を入れれば湯豆腐になります。

餅を入れてみましょう。

〔食品〕楽天最安値挑戦中★20袋まで同梱可☆宝もち 1袋1kg(20切詰)(生切り餅)大新食品株式会社【RCP】
〔食品〕楽天最安値挑戦中★20袋まで同梱可☆宝もち 1袋1kg(20切詰)(生切り餅)大新食品株式会社【RCP】

メーカーにこだわらなければ、スーパーでは切り餅は1キロ500円ぐらいでしょう。これを3切れ150gも入れて、だし汁で野菜と一緒に煮れば、十分に一食分になります。贅沢してぶりを入れようとか考えてはいけません。ぶりなんか入れては高くついてしまいます。ぶりを入れるくらいなら、ぶりは照り焼きにして、コメと一緒に食べた方がよっぼといいということになります。

白菜とキノコ当たりの野菜で十分です。これを一緒に煮込みます。

うどんと違って、煮込むのには注意が必要です。切り餅の場合、煮込みすぎると溶けてなくなってしまいますから。

正月でもないのに食べる雑煮というのは最高です。値段もクズ野菜しか入れなければ、1食150円を超えることはまずないです。

ほうれん草なんかを入れるのもいいです。ほうれん草が高い場合は小松菜でもいいです。どうせ似たようなものなんですから。

ホウレン草カットIQF 1kg(冷凍食品 バラ凍結 簡単 時短 業務用食材 野菜 カット野菜)
ホウレン草カットIQF 1kg(冷凍食品 バラ凍結 簡単 時短 業務用食材 野菜 カット野菜)

今は便利なものがありますね。冷凍で十分です。カットしてあったり冷凍してあったりすると栄養価が落ちるなんて言う人もいますが、何を非科学的なことをいっているのでしょうか。リテラシーを疑います。お腹に入れば同じです。

同じであるという確信する気持ちが大事です。


【食費を安く上げるにはどうするか 5 野菜編】

うどんにしても雑煮にしても、野菜を入れていけばそこそこ食べられるようになります。

そこで何の野菜を入れるかということになりますが、やはり野菜のクリーンアップと言えば、

1 キャベツ
2 白菜
3 玉ねぎ

になります。

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キャベツは一玉150円ぐらい、白菜は4分の1で100円、玉ねぎは大きいのが一個50円ぐらいです。

キャベツ一玉とか相当使えます。うどん一玉にキャベツを8分の1玉でも刻んで入れようものなら、うどんを食べてるんだかキャベツを食べてるんだか分からないくらいのキャベツうどんができます。

でも去年の夏、キャベツとか白菜とか、すごく高かった時がありましたよね。キャベツ一玉600円とか。あの時は、かつて見たこともないような小さい、握りこぶしより少し大きいくらいのキャベツ一玉が100円で売られていたりしましたから。あんな小さいキャベツがあり得るなんて、あの時だけの発見でした。

ホントふざけんなっていうレベルですよ。こうなると、スーパーに行っても、キャベツと目を合わせたくなくなります。
やはり葉野菜というのは、天候の影響があるわけです。

こういう時に役に立つのが、もやしとキノコです。
こいつらはいい。とにかく値段が一定ですから。ホームランも狙えるクリーンアップも大切ですが、やはりいつも同じアベレージをキープできる1,2番打者も大事になってきます。

特にキノコは種類も多くて、研究するのに奥の深いところもあったりします。

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エノキなんか安くていいとは思うのですが、私の場合消化器系が弱いのでしょうか、食べたらそのままの形で出てきてしまうという傾向があるので、食べても栄養になっているのかいまいち不安な点があったりします。

キノコ場合は、安くてさらに消化のいいものという条件になって来るでしょう。


【食費を安く上げるにはどうするか 6 豆腐編】



とうふって、よく考えたらコスパがかなり高いですよね。

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豆腐って安いやつで一丁70円ぐらいでしょう。いろんなのが売られていますけど、正直、味の差なんてわからないです。まあ、分かりたくもないし、分かる必要もないんですが。

豆腐って、一丁350グラムとして、二丁は食べられないですよ。実験してみたことはないですが、よっぽどの飢餓状態でもない限り無理でしょう。

すなわち、豆腐一丁に適当に野菜を入れて、だし汁でグツグツ煮れば、必ず一食分になる計算です。

例えば、だし汁に豆腐一丁をいれて、もやしを一袋入れてグツグツ煮てみて、「もやし湯豆腐」ができたとします。
「もやし湯豆腐」なんていう料理が確立されてあるかどうかなんて知らないですが、とにかくその、もやし一袋と豆腐一丁を使った「もやし湯豆腐」を食べたとするなら、間違いなく腹八分目にはなります。

腹八分目になったとするなら、もうそれでいいじゃないですか。

「もやし湯豆腐」にもおいしい食べ方みたいなものはあり得ると思います。鍋に直接豆腐を置くと焦げ付くので、いっかい軽くもやしをなべ底にひいておくべきだとか、キムチでもちょっと乗せるとおいしくなるだとか。

知らないですよ、そんなこと。人それぞれでしょうし。

トータル100円程度の食材の組み合わせが、小宇宙を生むとしたなら、湯豆腐の小宇宙なのでしょうが、それで十分です。


 【食費を安く上げるにはどうするか 7 鶏むね編】



うどんに野菜を入れて煮れば安く上がるとか、いままでそんなことばかり書いてきましたが、正直、肉も食べたいですよね。

肉も悪くないですよ。

食肉の中で何のどこが一番安いかというと、

国産鶏むね肉(2kg)
国産鶏むね肉(2kg)

鶏むね、でしょうなー。

スーパーに行けば、100g88円で売っています。特売になると58円になります。

58円ですからね。だいたい、肉ってそう食べれるものではないです。よく、自分はステーキを500g食べたとか1キロ食べたとか言うデブもいますが、肉なんて、普通の骨格の持ち主なら200gも食べれば腹八分目にはなります。

特売とり胸肉200gは116円です。鶏むねを一口サイズに切って、フライパンで焼いて焼き肉のたれでもつけて食せば、これはもうご馳走です。
116円でひとりカーニバルです。

鶏むねはパサパサして嫌いという人もいるでしよう。私もこのような脂好き人を否定するつもりもありません。というか、彼らのような人が多数いるおかげで、鶏むね肉は安値に放置されているわけですから。

鶏むねはとり天とかにすれば抜群においしいでしょうが、揚げるための油のコストがバカになりません。料亭じゃないんだし、別に揚げることもないでしょう。
細かく切ってフライパンで焼いて、醤油でもつけて食べられれば十分です。

食べ物で人生の空洞を埋めようと考えたら、ホントそれは原因と結果を取り違えています。











底辺の職業ランキングトップとは?
結論から言うと「梱包」だね。

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【梱包という職種とは?】

職業別未婚率で、運輸とか清掃とかは男性の生涯未婚率は6割ぐらいなのだけれど、梱包という職種は8割をたたき出している。ではこの「梱包」とは何か。

梱包というのは引っ越し、設営、工場内ピッキングなどに送り込まれる派遣従業員のことだ。こいつらのレベルは低いよ。
底辺会社の従業員と言っても、週5なら週5で朝の8時には会社に行かなくてはならない。しかしこれすらもできない、正確に言うとできたりできなかったりするなんていう人の最後にたどり着く職種が梱包だ。

私は思うのだけれど、最近よく自分は発達障害っぽいから就職とかできない、起業して頑張りたいなんていう若者がいるけれど、あまりお勧めは出来ない。親が金持ちだとか、弁護士や会計士の資格を持っているとか、アンダーグラウンドの世界で生きていく才覚があるとか、というのなら別だけど、多少の発達障害なら我慢して就職した方がいい。給料は安いけど精神的にゆるい会社というのは結構あるよ。

引っ越し派遣の人材とはどのようなものか。以下の会話で世界観を感じてほしい。

「平井さん、今日は来てくれたんですか」
「そうなんだよ。呼ばれちゃったんだよ」

平井さんというのは引っ越し派遣人材の班長格の人。同じ場所に送り込まれた5人なら5人の派遣人材のまとめ役みたいな人。

「あれ? 今日はあの、いつもニコニコしているおじさん、来てないんですか」
「あいつなら捕まったよ」
「え?? 何をしたんですか」
「コンビニ強盗」
「なんすかコンビニ強盗って。なんでコンビニ強盗とかしちゃうんですか」
「mさん、簡単だよ。お金がない、コンビニがある、お金を盗る。簡単に考えるんだよ」

この引っ越し派遣職種ではグループを組むのが大事だという。一匹狼みたいになっちゃうと、とんでもない会社に単独連発で送り込まれたりするから。グループに入るためには目立たないようにするのがコツなんだって。
どうりでみんな死んだ目をしているはずだと思った。

この引っ越し派遣の値段の相場というのは、首都圏で会社側は派遣会社に一日一人16000円払って、派遣本人は一日8000円プラス交通費。

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結論から言うと、未婚男が死んだ場合、葬式は当たり前というわけではないということ。

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【未婚男が死んだ場合、葬式などはどのようになるのか?】


だいたいにおいて喪主は親か配偶者か子供になる。自らが生命が消えようかという歳になっていれば両親共に死んでいるのは普通だろう。結婚していなければ配偶者も子供もいないわけで、喪主が存在しなくなる。私の勤めている会社で50代後半の独身男性が2人、ポックリ死んだことがあるけれど、葬式というものは一切無かった。どこからか兄弟という人が来て、遺骨を持ち帰りそれっきりだ。

未婚男性の場合、結婚しないいいわけをずらずら語ったりする。語れるうちはまだいい。親が死んでくると口数が減ってくる。そんなオジサンにたいして、周りは妻や子供の話はできない。気をつかわれるんだよね。


【真面目に働けば結婚して一人前の男になれる?】


上層ホワイトカラーの人たちは知らないかもしれないけれど、下層職層の男性未婚率というのは実際ひどい。運輸、清掃、介護、建設、のブルーカラー職層の未婚率は実感として高い。私はトラックの運転手をしているのだけれど、周りの30代、40代、50代男性の6割以上は未婚だ。

ブルーカラー職層でまじめに仕事をすれば結婚もして一人前の男になれる、などということはありえなくなっしまった。
逆に、そんな程度の仕事をまじめにやっている程度では結婚はまず不可能だということになる。

日本人はまじめだといわれている。もちろん日本人の遺伝子にまじめ遺伝子が組み込まれてるわけでもないだろう。日本人のまじめさというのは皆婚制度に起因しているだろう。まじめに働けば妻をもらい一家を建て一人前の男になれるというわけだ。ブルーカラー下層職層にあっては、まじめに働いているだけでは結婚はおぼつかない。まじめに働く内的根拠は近年、急速に失われている感じだとおもう。

結婚が無ければ、その結果葬式も無い。ブルーカラー下層職層で身寄りの無い人の葬式を、いったい誰がとり行おうと思うだろうか? 

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      職業に貴賎はあるか?



職業に貴賎はあるか?なんていうとキツイ感じがするから、職業に価値の濃淡があるか?というマイルドな言い方をしてもいい。  

職業の価値の濃淡というのは何によって決定されるのか。

最も簡単な答えというのは、「稼ぐお金の量によって」ということになるだろう。しかしこのような簡単な答えというのは、一見正しいように思われるのだけれど、いくらでも反論可能。もう少しマシな仮説が必要だ。 

ではこういうのはどうだろうか。  

「その職業集団が再生産可能かどうか」   

例えば江戸時代を考えてみる。江戸時代においては、武士と農民というのは、職業としての価値の序列があったかのように見える。

しかし武士と農民とのそれぞれの集団は、それぞれに再生産して集団を未来につなげているわけで、武士と農民は職業に貴賎があったというより、その暮らす世界を住み分けていたという方が正確だろう。

武士と農民との貴賎というよりも、武士世界内、農民世界内の貴賎のほうが、そこに暮らす人間にとってははるかに重要だろう。

具体的に言えば、長男と次男以下との区別ということになる。これは職業ではないが、集団と考えれば同じことだ。家父長社会において、長男集団と次男以下集団とはリアルに価値が違う。

なぜ価値が違うのか。残酷な質問には残酷な答えが待っている。長男集団には再生産が期待されているけれども、次男以下集団には再生産が期待されていないからだ。江戸時代において、武士と農民には貴賎は存在せず、それぞれの長男集団と次男以下集団には貴賎が存在した、と言ったとしても体感的にそう間違いでもないだろうと思う。

職業の貴賎などという価値の序列というものは、様々な社会体制においてそれぞれ決定されるものだろう。   

そして再び問う、現代日本において職業の貴賎は存在するか?  

戦後、正確に言うと戦中以降、日本においては社会保障や最低賃金なるものが存在した。総力戦を国家が呼号する中、最低限のカロリーを提供してもらわなければ、国民としても国家の総力戦に継続的に参加できないから。国家が最低賃金を補償して、さらにその国において皆婚状況であるとするなら、その国において職業の貴賎はないといえるだろう。国家に有用なあらゆる職業集団が再生産可能だからだ。  

ところが時代は変わって、現代の日本では生涯未婚率が3割に迫ろうかとしている。おそらく職業によって、結婚しにくいもの結婚しやすいものという色分けがあるだろう。結婚しにくい職業なるものが誰の目にも明らかになったときに、言い換えるなら、再生産しにくい職業が誰の目にも明らかになったときに、それでも職業に貴賎はないと強弁できるのかということになる。21世紀も17年もたって、その辺のところが明らかになりつつあると思う。

世界は2つに分裂するだろう。職業に貴賎はないと強弁するものと、職業に貴賎はあると開き直るものと。これらを総合するためには、おそらく新しい世界観が必要となるだろう。

自分で言っておいてなんなのだけれど、この新しい世界観とはどのようなものであるかというのは想像ができない。近代の人たちが、社会保障について想像が出来なかったのと同じ。


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「独身40代男はなぜ結婚できなかったのか」について考える 4







よく若い人がお金がないから結婚できないという意見があるけれど、これはちょっと違うと思う。

私が二十歳のときは、大学生でバブルの絶頂だったけれど、

「女に関してぼんやりしていたら、自分程度の男は結婚って危ないんじゃないのか」

なんて思ったことがあったよ。

1990年ではすでに、男も女も同じ教育を受けるというのが当たり前になっていた。男と女とは、勉強において得意分野に差はあるかもしれないが、知能レベルに差なんていうものは無い。教育レベルも知能レベルも同じ男群と女群が、自由恋愛市場において互いにパートナーを選びあおうするなら、余る男余る女というのがでてきてあたりまえだろう。
自然状態なら、そもそも皆婚というのはありえない。近代日本の皆婚社会というのは、女性に対する過度の抑圧によって成立していたと思う。


団塊ジュニア、すなわち今の40代の男というのは、その辺の女性に対する意識の転換が出来なくて未婚というのがかなりいると思う。団塊ジュニアは、日本の未婚率上昇に貢献したし、時代の転換をよくわからないまま適齢期を過ぎてしまったというのが1割はいるだろう。今の20代30代はその辺のところを修正してきていると思う。最近の未婚率の上昇が頭打ちになってきていることから、それはうかがえる。  

結婚するのがよくて、結婚しないのが悪いというわけではないけれど、結婚したいのならそのための女性に対する接し方というものがあるし、結婚したくないならそれなりの覚悟というものがある。
威張っていればそのうち結婚できるだろうという考えが、常軌を逸して甘すぎたというだけだ。 

そういう点で考えれば、今の若いやつらって馬鹿じゃないなと思う。


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「独身40代男はなぜ結婚できなかったのか」について考える 3

 



今から思い出してみて、25年前、結婚というのは当たり前の事だった記憶がある。今ではとても結婚できないだろうなんていう男も普通に結婚していた。

私のオジサンは当時40歳職歴なし、自称詩人だったけれども、とりあえずバツイチだったし。

これ、当時何故皆婚時代だったのかというと、結局社会的プレッシャーがあったからだと思う。結婚プレッシャーといってしまうと話が簡単になってしまう。一方向から来るプレッシャーは認識できるのだけれど、全方向から来るプレッシャーというのは認識できないんだよね。          

1990年当時、私は20歳の健康な男性であって、もちろん性欲というのもあった。性欲というのは下半身の問題ではあるのだが、20歳のころの私はその性欲が胸の辺りまで来ていたような気がする。

今から考えると、私はそう性欲の強い方でもないし、当時から流行なんてものも大して興味はない。こんな私でさえ、好きな女性のパートナーを見つけなくてはいけないなんていう熱い欲求が胸辺りまで来ていた。          

当時の日本はあのバブルの絶頂だった。

当時私は名古屋に住んでいたが、あの名古屋にすらディスコというのがあった。男は高級ホテルを予約してクリスマスイブに彼女と夜をすごすというのが流行っていたというか、当たり前だった。大学の卒業式の日に、卒業する先輩の女の子に、あんたレンタカー借りて花束持って卒業式の会場の外で待っててくれない? なんていわれたこともある。丁重に断ったけれども。                        

結局、当時の彼彼女達の多くは、社会的なプレッシャーによってパートナーを得なくてはいけないという意識に頭のてっぺんまで覆われていたのだと思う。男だけではなく女も状況は同じなのだから、生涯未婚率も低くなる。 

時代にも雰囲気というのはある。かっこよく言えば、時代精神ということだろう。この時代精神に抗うというのは並大抵の事ではない。





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「独身40代男はなぜ結婚できなかったのか」について考える 1




「独身40代男はなぜ結婚できなかったのか」について考える 6
















去年の年末に信用枠で4000株買った6301コマツを今日の寄り付きで利食いました。


171万の利益でした。


この3週間、けっこう強く戻りましたね。

この原因というのは、正月中に円が急激に上がったことがありました。あれで為替だけではなく、株も投げる奴は投げたみたいなことになった結果だと思います。


ここからなんですが、売りのタイミングを計りたいと思います。正月に投げてしまった人は、この戻りを見て買いのタイミングを計っていると思います。そういうダメな奴の逆を張りたいです。

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意識高い系のお金を集める条件というのは、意識が低い系を踏み台にするという、結局そういうところに行きついてしまう。

意識高い系の成立要件、みたいなことを言うと難しくなってしまうのだけれど、結局、意識高い系が成立しなくなってしまったのは、全体の経済が成長しなくなってしまったからというところに行きつくだろう。

全体が成長しなくなってしまうと、こじゃれた音楽を聴いてもピンとこないし、機転の利いた話を聞いてもバカバカしい感じになってしまうし、ホントどうしようもない。結局元居た場所に戻るんでしょ? みたいな意識が目覚めてしまう。

その場で楽しいこと、その場で面白いことにアクセスが集中してしまうことになるだろう。

意識高い系の論理の要点というのは、成長している分野に資源を集中する、ということになる。この社会で成長しているのは何かというと動画ということになるのだろうが、動画程度の大きさのカテゴリーだとどうだろう? 多くの人を引っ張っていくほどのエネルギーにはなりえないだろう。

この世界って、成長することが前提でつくられているみたいなところがあるから、こうなってくると矯正不能ないろんな歪みが生じてくるだろう。
仕事をしてうつになる人が大量発生したり、男の3割が結婚できなかったり。

全体の解決策というのもない。
ただ個別の解決策というのなら、かっこつけないでオープンマインドに生きて、そのマインドにふさわしい社会階層に移行するということだと思う。

例えば、外貨建ての保険商品を情報弱者の老人に売るのに引け目を感じるようなメンタルレベルの銀行員は、そんなの辞めて肉体労働者に移行するとか。

お金が少なくても幸せに生きること自体は可能だろう。




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