magaminの雑記ブログ

2014年06月

戦前の昭和なんていうものは、誰も興味がないでしょうか? でも簡単に判断してはダメ。

昭和10年と昭和30年とは、経済的には同じレベルだと思います。しかし、昭和30年は今の日本と直接つながっている感じがするのですが、昭和10年は今の日本とは少しずれているような。

それは同じ日本のはずなのに少し違う。ある種のパラレルワールドです。
戦前にも映画はありました。今と同じ割引制度みたいなものもあって、でもちょっと違うのは、

「子供、軍人半額」

という標識が、映画館の前にかかっていたそうです。
たまらん、軍人半額とか、たまらん。

昭和5年、山本七平が小学生の時、同級生に男爵の息子というのがいたそうです。爵位を持つというのは、当時かなりの上層階級です。しかしその同級生、自分の父親が男爵であることを必死に隠していたのですが、ついにクラスメートにばれて、その結果ついたあだ名が
「男爵いも」

たまらん、あだ名が男爵いもとか、たまらん。

第二次世界大戦で世界の枠組みが変わってしまったのでしょう。その結果、日本も変わってしまった、微妙に。あの終戦を境に断絶した日本があるのです。想像はしにくいのですが、世界が断絶するということはありえるのです。二つの人生を生きるということがありえるのです。

この二つの世界を生きる感覚というのは、うらやましい気がします。

タビオは靴下の専門店「靴下屋」を展開しています。

株価995円
PER29.43 倍PBR1.25 倍

配当、年30円
株主優待は、2月権利確定の100株で1500円分の「靴下屋」での買い物券です。

川崎にある「靴下屋」に行きましたが、店舗は小さいです。それはそうでしょう、靴下しか置いていないのですから。男物も多少はありましたが、メインは女性物です。

可愛い小さな靴下屋。
株主優待を持っていなければ、40代のオヤジはまず入らないであろうお店です。私には中学2年の娘がいるのですが、その娘に可愛い靴下を買って帰りたいがために、タビオを優待狙いで持っているわけです。

店に入って「3足千円」という女性用靴下を物色していると、若い女性の店員さんが
「どのようなものをお探しですか」
と喋りかけてきます。変なオヤジが女性物の靴下を物色しているわけですから、この時点では店員さんも多少警戒しています。
ここで私は魔法の言葉を。

「娘に靴下をと思いまして」

店員さんは目の瞳孔がスッと広がり、口元が上を向きます。彼女の中で、私は変なオヤジから優しいパパへと転換したわけです。
私は
「この靴下のサイズは何センチなのでしょうか?」
と質問すると、彼女は、22センチから25センチまでです、と言うので、私は
「娘は中二で身長が155センチなんですけど、大丈夫でしょうか?」
というと、彼女は、
「私も155センチなんですよ。足のサイズは23センチです」
と言ってにっこりします。私、まじまじと彼女を見て、155センチってちっちゃいんだナ、なんて思いました。
そろそろ本題です。私は、
「娘は短い靴下がいいと言うのですが、中学二年の女の子にはどんな靴下がいいでしょうか?」
と聞きました。全部まる投げです。彼女は、
「こちらの豚さんの靴下はどうでしょうか。ここに豚の耳がついていて、スニーカーを履いたとき上から豚の耳がちょっと出てかわいいんですよ」
といいます。

ああ、それはいい。

靴を履いたら豚柄の靴下だなんてわかんないのに、スニーカーから豚の耳が出てカワイイ、なんていうことは、オヤジには思いもよらない事です。女の子の世界というものを、ぐっと身近に感じます。
靴下四足選んでもらって、1600円でした。そして、優待1500円分を消化です。

キャバクラで女の機嫌とるよりも、靴下屋で店員さんと靴下トークしたほうが、さわやかでよっぽどいい。優待も消化できるし。


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ガリアとは今のフランスです。

紀元前50年、ローマ帝国(当時は共和制)の英雄ユリウス・カエサル、英語読みするとジュリアスシーザーが、ガリアで9年間どのように戦ったのかをカエサル自らが書いたもの、それがこの「ガリア戦記」です。

これが面白いのです。

当時ガリアは多くの部族国家に分かれていたのですが、まずヘルウェティイ族がローマ属州の近くに侵入してきます。こんなものは、カエサル、ひとひねりです。
ところがそのヘルウェティイ族はガリアの外にあるゲルマン民族によって圧迫された結果押し出されてきたわけです。カエサルはこの影の悪役ゲルマン民族と戦って、見事に勝利。ゲルマン民族を舎弟にしてしまいます。
次にカエサルが目指すのは、大陸の海の向こうにあるブリターニア、要するに今のイギリスです。慣れない海戦だったのですが、これにももちろん勝利です。

そして物語の最後。

主人公にはライバルが必要です。ばらばらだったガリアに英雄があらわれます。その名はウェルキンゲトリクス。
ガリアのエリシアという町をカエサルは包囲するのですが、ウェルキンゲトリクスはガリア中の戦士を集めカエサルの軍団を再包囲しようとします。
まるでボルゴグラード攻防戦です。
カエサルとウェルキンゲトリクスとのギリギリの戦いです。もちろんカエサルの勝利。かくてガリアは平和になりました。

少年漫画かよっ

しかしこの「ガリア戦記」切れ味はすごい。この一冊読めば、少年漫画なんてもう読む必要ない。

紀元前五世紀から三世紀まで中国は戦国時代で、

趙、韓、魏、秦、斉、燕、楚

の七国がしのぎを削っていました。あるときは斉が覇権を握ったり、魏が覇権を握ったりとギリギリの戦いです。

現代の言葉を使えば、イギリスがヘゲモニー国家であったり、アメリカがそれに変わったりということです。今は平和な感じですが、これからどうなるか分かりませんよ。

中国の戦国時代も平和な時代はありました。しかし最後はどうなったかと言うと、秦と趙がガチンコの戦いを始めて、趙の兵士40万人が捕虜になります。秦はこの40万人を何百人かを残し全て生き埋めにして殺します。秦は一線を越えたのです。趙の生き残った何百人かが中国全土に秦の恐ろしさを伝える事により他の五国はビビッテしまい、後は秦の独壇場、秦の始皇帝の誕生です。

秦は中国を統一した後、他の六国の歴史を抹殺してしまい、戦国時代の様子はよく分からなくなっているらしいです。戦国時代の魂みたいなものは消え去り、漢の時代になると、それはもう別の世界です。
趙の兵士40万人は本当は最後まで戦わなくてはいけなかったのです。趙の兵士達には秦はこの世界を壊さないだろうという甘えがあったのでしょう。

今の世界も同じです。平和で比較的穏やかな世界に慣れてしまえば私達は趙の兵士のように生き埋めにされ、そして別の新しい世界が始まるでしょう。

太平洋戦争前は日本人の共同体願望は近代天皇制に凝固しました。しかし、近代天皇制は日本国内のみに通用する論理で、朝鮮や中国のなかで天皇なんていっても相手にされないのは当たり前です。いくら大日本帝国がアジア共同体を熱望しても、その旗頭が天皇では相手にされる可能性は低いです。

その一敗地にまみれた日本人の共同体願望が、アメリカが与えてくれた日本国憲法の中で再び蘇るわけです。

それが憲法9条。

戦争を放棄するということを世界が受け入れてくれれば、それは世界連邦、世界丸ごと共同体です。日本人の共同体願望への希望は明治国家天皇のかわりに憲法9条が牽引役になるわけです。天皇なんていうローカルなシンボルよりも「戦争放棄」という普遍的なスローガンの方が、日本人の共同体への渇望を満たしてくれる可能性が高いだろうというのは、戦後においては常識的な考えだったと思います。

しかし、あの戦争から70年。世界連邦なんていうのは明らかにムリというのが分かってきました。ですから、共同体願望を持つ日本人は、憲法9条というタームから嫌韓というタームに移動しているということでしょう。憲法9条というものと嫌韓というものは、右と左に遠く離れているように見えて、共同体願望と言う地下道でつながっているのです。

しかしもう明らかなのです。人間同士のつながりを求めるのであれば、日々誠実に努力するしかないのです。天皇だとか、9条だとか、韓国だとかに何かを求めても今さらそれは効果のあることなのでしょうか。町に出てお尻の大きな女の子に優しくするほうが、はるかに自分の共同体願望を満たす事につながるのではないでしょうか。

太平洋戦争の原因というものについにたどり着きました。

渡辺京二の「北一輝」の中に、

「明治維新以降の日本国家は、現実には富国強兵の資本制創設を国家目標としながら、資本制の市民社会論理とは全く異なる住人である村落共同体の基層民を天皇制共同体の幻想でナショナリズムに誘導するというある種のダブルスタンダード政策を採ってきた。それが大正7、8年ごろから破綻し始める」

「今まで村落共同体の中で暮らしてきた人々は、分立する個的利害のゲームの理論である市民社会的論理の只中に引きずり出され、驚愕し、困惑した。しかしあとずさるべき共同体的生活圏は大正7、8年には崩壊にさらされていた」

基層民のなかでは、市民社会への反感、共同体への願望、というものが増進していきます。

「右翼イデオローグの存在理由は、天皇制権力に逆流を始めた基層民の意識に敵を見つけてやる事にあった。このイデオローグの中で最も優秀であった人物が北一輝である」

日本人の増殖された共同体願望というものが、明治国家が積み上げてきたものを全て押し流し、あの太平洋戦争になるわけです。軍部が悪魔だったとか、近衛文麿が馬鹿だったとか、ルーズベルトの陰謀だったとか、ピント外れのたわごとに比べれは、渡辺京二の論理ははるかに私にとってシックリきます。

物事の本質をつかめば、応用問題を解くのは簡単です。
最近、韓国をけなす論調みたいなものが目立ちます。それは、私達の満たされない共同体願望のために右翼イデオローグが、敵を見つけてくれているわけです。共同体願望の意識を反韓国や反フジテレビに誘導しているわけです。それってあまりいいことではないですよね。共同体願望自体は悪い意識だとは思いません。それぞれの人が自分の願望を健全に満たす努力をすればいいと思います。しかし、外に敵を作って自分の共同体願望を満足させようとするのならば、それは安易な道を選択していると言わなくてはいけません。

福島原発が爆発して後、反原発ということでほとんどの原発が止まっています。日本国としては大損害です。原発推進派の論理は
「原発より火力の方がよっぽど人を殺している。石炭を掘り出すのに世界中でどれだけの人が死んでいるのか。それに対して、福島原発の爆発では誰も死んでいない」
といいますが、反原発派の人が問題にしているのは、人の死ではなく、共同体の死です。例えば100人の共同体の中で、一人や二人死んでも何の問題もありません、共同体は生き続けますから。しかし、その共同体の近くで原発が爆発したらどうでしょう。一人も死なないかもしれませんが、非難区域とかに指定されて、共同体は死にます。反原発運動というのは、共同体願望的意識の一つの発現形態なのです。

憲法9条とはなんなのでしょうか。創価学会とはなんなのでしょうか。近代的天皇とはなんなのでしょうか。今まで説明しにくかったものが、この共同体願望の論理を使えば、説明しやすくなるのではないかと思います。


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諸葛孔明の出師の表は何度読んでも泣けます。

諸葛孔明は、泣いて馬謖を斬るということわざからしても、法律重視の法家的なところがあります。さらに劉備に三顧の礼で迎えられる前は、出師の表に「みずから南陽に耕し」とありますから、老荘思想、道家的な生活を送っていたのではないでしょうか。さらに、劉備の死後は、自ら蜀の王になろうなんていう考えもなく、死んだ劉備を慕いながら、劉備の息子の劉禅をたえず叱咤激励。この点で諸葛孔明は、君臣の秩序を尊重する儒家の属性もあります。

法家、道家、儒家、という矛盾しがちな性質を、その人格の内に統合した諸葛孔明は、中国史上、特異な地位を占めるべき傑物だったと思います。

諸葛孔明の恐るべき意思の強さはとてもまねできるものではないですが、たまに「出師の表」を読んでその存在を確かめるというのはいいものです。


江戸時代において孟子はほとんど禁書だったのです。その理由は、孟子のなかで

君主がぼんやりしていたならば、それは君主ではなくただのぼんやり君だから、それをチェンジしても何の問題もない

と明言しているからです。これは江戸幕府にとってはまずい発言です。ぼんやりした将軍なんていうのはいっぱいいたでしょうから。

2300年前、孟子の生きた中国の戦国時代において、一番有力だった国は「斉」といいます。その斉は孟子が自分を売り込もうとした30年ほど前に、歴代の家系の君主が家臣によって簒奪されているのです。孟子は機会主義者だったのではないでしょうか。ここぞとばかりに斉の君主に

簒奪なんていうのはそう悪いことではないですよ

と言いいます。時代に合わせて孟子も孔子を解釈しているわけです。
孟子は孔子と合わせて孔孟と言われますが、孔子と孟子ではかなり距離があります。この段階ですでになんとでもいえるというレベルです。


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イザベラバードというイギリス女性が、明治10年頃に日本内陸部を旅をしました。その手記が残っています。

日本人はキレイ好き、風呂というものに頻繁に入るというイメージがありますが、明治10年においては当てはまらない地域というものがかなりあります。服というものも貴重品で、洗濯なんてしまうと繊維が傷んでしまうので、洗濯をあえてしないような生活習慣です。

戦後の高度経済成長前までの日本の生活水準というのは、欧米に比べて低く「日本的低位」という言葉があるくらいです。

しかし、日本的低位にあるとはいえ、明治10年の日本は日本らしい善良な人々がある一定以上存在する世界です。この肩を寄せ合ってくらす日本人達が、その後、日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争、に参加するわけです。

水漬くかばね 草生すかばね

貧しい中でも大事に育てられた子供達が青年になり、その青年は万葉集を手に南方の異国の地でで餓死するなんて、何であんな事になってしまったのだろうか。

太平洋戦争って、何であんなやけっぱちの戦争をやってしまったのでしょうか。中国や韓国はなんでいまだに怒っているのでしょうか。私達は何でこんなに戦前のことを知らないのでしょうか。

太平洋戦争の直接の原因は、昭和16年12月6日の真珠湾攻撃です。真珠湾の原因は昭和16年9月にあった御前会議で、
「日米交渉がうまくいかなければ重大な決意をする」
という決定があったからです。

当時の日米交渉とは、日本が今のベトナムに軍を進めたためにアメリカが日本に対して石油の禁輸をしたという、そんな状況を正常化するための交渉です。

何で日本がベトナムに侵攻したかというと、当時日本と中国は戦争をしていて、中国内陸部に立てこもっていた中国軍の兵糧ルートを絶つためです。

何で中国と戦争をしていたかと言うと、それは昭和12年の第二次上海事件です。中国軍の先制攻撃により戦線が拡大、日中戦争という大戦争になります。

昭和6年満州事変が起こり、日本は中国北東部に満州国という国をつくります。満州占領だけなら国際的にギリギリ認められることもありえたのですが、日本軍は勢力圏を中国本土に広げようとして、中国国内で激しい反日運動を引き起こします。昭和12年の第二次上海事変の時にはすでに、中国軍は日本に対して宥和的な態度をとることが出来なくなっていたのでしょう。

満州事変の原因は日本軍の謀略です。自分で満州の鉄道を爆破して、それを中国の責任にして、中国軍を攻撃しています。で、その満州事変には予行演習みたいな事件があって・・・・・・・

もういいでしょう。このように太平洋戦争の原因というものを直接的にさかのぼっていくと、話がどんどん拡散してしまうのです。太平洋戦争について考えるためには、事実関係を知るだけでは足りないと言う事です。何か別のアプローチが必要です。日本人の精神史みたいなものの理解が必要です。

私達は多くのことを感覚で語っていないでしょうか。人と人との会話というのはどちらが多く自己主張ができるかという優勝劣敗のゲームなのでしょうか。そんな場所から抜け出すためには、太平洋戦争を知って日本人の精神史を知って、それぞれが自分の内面を凝視するしかないと思うのです。

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